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★保存版★泣ける話@極東板 part2.5

1 :。゚・(ノД`)人(´Д`)人(Д` )・゚。:04/03/26 14:02 ID:HUa6tZKD
前スレ落ちてしまったので再建します。
各所に散在する尊い話、感動した話を集める趣旨のスレです。
もちろん他板や極東での既出話もOK。
コピペガイシュツ問いません。

無論、感想レスも歓迎ですが、
煽りに対する脊髄反射は無しでお願いします。
★保存版★ 泣ける話@極東板
http://tmp.2ch.net/asia/kako/1036/10368/1036861706.html
★保存版★ 泣ける話@極東板 part2
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1050134993/

2 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:03 ID:HUa6tZKD
■1.刑務所の歌姫■

「皆さん、やっと来ましたのよぉ」

 フィリピン・マニラ郊外のモンテンルパ刑務所に、渡辺はま
子の大きな声が響いた。死刑囚の独房の奥のステージは花で飾
られ、「歓迎 渡辺はま子様」と横断幕が掲げられている。

 聴衆は戦争犯罪人とされた百数十名の元日本兵たち。昭和2
7年12月24日の事である。12月とは言え、40度を超す
酷暑をものともせず、はま子は振り袖を着て、「荒城の月」や
「浜辺の歌」を歌い続けた。長い間、日本の女性の着物姿など
見たことのない元兵士たちへの心尽しだった。

 やがて「あゝモンテンルパの夜は更けて」を歌う時となった。
ここの死刑囚たちが作詞作曲した歌である。「どうすれば泣か
ずに歌えるのか」と胸をいっぱいにしながら、はま子は歌い始
めた。聴衆の中から、すすり泣きが聞こえ始めた。この歌が後
に、これらの人々を救い出すことになる。

 会が終わりに近づくと、傍らに立っていた元駐日大使デュラ
ン議員が、禁じられていた「君が代」をお歌いなさい、と言っ
た。「私が責任を持ちます。」 一同起立して祖国の方に向か
って歌い始めたが、ある者は泣いて声が出ず、またある者は途
中で座り込んでしまった。

>禁じられていた「君が代」をお歌いなさい、と言っ
>た。「私が責任を持ちます。」 一同起立して祖国の方に向か
>って歌い始めたが、ある者は泣いて声が出ず、またある者は途
>中で座り込んでしまった。

3 :ニュー速パラオスレの保管分:04/03/26 14:04 ID:HUa6tZKD
216 名前:名無しさん@4周年[sage] 投稿日:04/01/28 20:33 ID:8S50Do3g
地元の人はそのままにしてあげて、と言うらしいな

うちのじいちゃんは戦争に行って生きて帰ってきたけど
死んだら靖国へ!と生死のギリギリのところでもそう念じていたらしい
もちろん生きて帰れるなら家族の下へ、と思うらしんだけど
一蓮托生生死を共にした仲間と死んで会えるのは約束の地、靖国
なんだそうだ・・・でうちのじいちゃんの老衰86でなくなったんだけど
火葬時、死ぬ間際までよく被っていた海軍帽を棺に入れてあげました
本当は形見で取って置きたいと親戚のおじさん(じいちゃんの長男)が
言ったんだけど、ばあちゃんが
「あの世で戦友さんと顔をあわせるとき被ってないとわからんじゃろ?
うちのとーちゃん皺くちゃんおじいさんだもん」と言って結局一緒に火葬した

4 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:05 ID:HUa6tZKD
ぼちぼち貼っていきます。。。。。まずは即死ルール回避を目標で。。。

5 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:07 ID:Ujsa0T71
>>1
乙!

6 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:10 ID:HUa6tZKD
『日の丸ー。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。
どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。
本当に不思議。これまで何度もそんなことがあったね。
ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目にはいると、
こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。
日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーが
みなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。
日の丸をつけるって、国を代表するってことだよ。選ばれた選手にしか与えられ
ないものじゃない。国を代表して戦うって、スゴイことなんだよ。それを忘れて
いるんじゃないかって思う。
ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表
だからだろ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。日本はそこん
とこから外国に負けている。自分のためだって?
そんなの当たり前じゃない。じゃあなぜ、もっと大きいものを背負わないの?
オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、
オレは38歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんど
フル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。自分のため
だけだったら、とっくに辞めてたよ。』

サッカー元日本代表・ラモス瑠偉

7 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:39 ID:HUa6tZKD
Medal of Honorより抜粋 イタリア戦線の日系人部隊

 ……不眠不休の戦いが四日続いた。辺りには仲間の死体と半壊した敵戦車が累々と横たわり、地獄の様相を呈していた。だが戦いは終わらない。
ドイツ軍は尚も戦車を前面に100大隊へと肉薄してくる。
 さらに四日が経過した。誰もが体力の限界を越えていた。疲労の極地に達し、眠りに落ちるように倒れたまま二度と起き上がらない者、飢えと渇き
で幻覚を視る者、手足を失い吹雪の中で死んでいく者……。誰が生き残っているのかすら分からなかった。
 だが八日目の陽が昇る頃、遂にドイツ軍は根をあげた。100大隊は戦いに勝利し、テキサス大隊は救出されたのだ。
 救出されたテキサス大隊は100大隊に感謝の言葉を述べた。
「ありがとう!本当にありがとう!フランスの山奥で、まさかジャップに助けられるとは思わなかったよ!」
 その言葉を聞いたニセイ達は烈火の如く怒り、彼等の胸倉を掴んでこう言ったという。
「俺達をジャップと呼ぶな!俺達はアメリカ人だ!お前と同じ、アメリカ人なんだっ!」
 テキサス大隊は日系兵士達の悲惨な境遇を知らされ、いかに自分達の言葉が日系兵士を傷付けたかを思い知った。
 犠牲になった日系兵士の為に皆が泣いた。テキサス大隊の者達は手厚く犠牲者を葬り、100大隊の献身と勇気を生涯忘れないと心に誓った。

 ……200名のテキサス大隊を助けるために、100大隊は800名を失っていた。

8 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:43 ID:HUa6tZKD
1945年4月5日。442連隊はゴシックラインに向けて総攻撃を敢行した。丘陵に陣取るドイツ軍に向かって砲兵部隊が10分間の
全力射撃を行った後、歩兵部隊が肉薄するという戦法が取られた。
 砲撃によって穴だらけとなった斜面を進むサダオ達。対するドイツ軍は各所に据えた機関銃陣地から激しい銃撃を浴びせて
きた。たちまちサダオの前を進む分隊長が撃たれ、周囲の味方は次々と数を減らしていった。
「分隊長がやられた!代わりに俺が指揮を執る!」
 二等兵であるサダオに指揮権は無いが、サダオの言葉に異を唱える者などいない。周囲の味方は一斉にサダオの指揮下に
入り、敵の銃撃をかわしながら先へ進んだ。
 サダオは分隊を率いて巧みに敵へと肉薄。砲弾で出来た穴に分隊員を隠したサダオは、目前の機関銃陣地を指差し「俺が
潰して来る!」自動小銃を片手にたった一人で突撃した。
 味方から悲鳴が上がり、たちまちサダオに銃弾が撃ち込まれた。だがその銃弾の一発もサダオに当たらない。
 サダオは自動小銃を乱射し敵二名に重傷を負わせ、三名を射殺した。この機会を見逃す442連隊ではない。たちまち後続の
味方が前進を開始し、敵の防衛線の一角を切り崩し始めた。


9 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:44 ID:HUa6tZKD
「やった!やったぞ!」穴へ駆け戻るサダオに向けて仲間から惜しみない賞賛の言葉が投げかけられる。分隊員達はサダオの奮戦に
大いに勇気付けられ、穴から出て進撃を再開しようとした。だが次の瞬間……。
 ゴン、という音と共にサダオのヘルメットに何かが当たった。その何かは穴の中へ転がっていき、シュウシュウと音を立てた。
 「手榴弾だ!」誰かが恐慌に満ちた悲鳴を上げた。
 穴の底にドイツ軍の柄付き手榴弾が転がっていた。この手榴弾が狭い穴の中で炸裂すれば、分隊員全員が死ぬだろう。慌てて
穴の名から飛び出ていく分隊員達だったが、二名ほど逃げ遅れていた。穴の淵で手榴弾を見つめるサダオ。その目に仲間と手榴弾が映る。
 迷いは無い。サダオは穴の中に身を躍らせた。そして肩と頭で抱え込むようにして、手榴弾の上にその身を覆い被せた。
仲間の目が驚愕に歪み――。

 直後、サダオの身体の下で、手榴弾が炸裂した。

 「サダオー!」穴の中に残っていた二名はサダオに駆け寄った。二名に怪我は無い。手榴弾の爆風も破片も、全てサダオの身体が
吸収したのだ。異変に気付いた周囲の味方が駆け寄り、誰もが驚愕の悲鳴を上げた。

10 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:45 ID:HUa6tZKD
「じょ、冗談だろう!?ここまで、ここまで来たんじゃないか!それなのに、お前がこんな所で」サダオは何も答えない。
仲間に被害が及ばないようにしっかりと手榴弾を抱え込んでいたサダオの身体は、ぼろ切れのようになっていた。衛生兵に診せるまでもない。即死だった。
 「そんな馬鹿な……」仲間を率いて勇猛果敢に戦っていたサダオが、一瞬のうちに命を落とした。誰もが信じられなかった。やがて恐慌が過ぎ去ると、
皆が涙を流してサダオの事を想った。「あのサダオが……」皆にとって、サダオは心の支えであり、尊敬すべき戦士であり、何者にも変え難い友だった。
そのサダオが死んだ。誰も現実を受け入れられなかった。
 呆然とサダオの遺体を見下ろす仲間達。そんな彼らに向かって後続のニセイ達が声をかける。
 「まだ戦闘は終わってないぞ!サダオの死を無駄にするつもりか!」
 ハッと、弾かれた様に彼等は顔を上げた。そうだ。こんな所で立ち止まっていてどうする?ここで戦うのを止めたら、仲間を守って死んだサダオに何と
言えばいいのだ。
 誰かが叫んだ。「サダオがやられた!代わりに俺が指揮を執る!」ニセイ達は凄まじい勢いで進撃を再開し――。
 連合軍が五ヵ月かかって撃破できなかったゴシックラインを、442連隊は32分で攻略した。 


11 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:46 ID:HUa6tZKD
サダオの死は部隊全員に伝えられ、その戦いぶりと最後の瞬間は涙と共に語られた。ゴシックライン攻略と共に解放された地元の住民は、
サダオの為に彼の銅像を建立する事を決めた。
 やがて彼の死は作戦の立案者であるアイゼンハワーの耳にも届いた。この時点でサダオの死は442連隊のみならず、かつて救出された
テキサス大隊や、サダオと行動を共にした友軍の耳にも伝わっており、誰もが深い哀悼の意をサダオに示していたのである。
 この勇者の死に対して、アイゼンハワーと合衆国議会は一つの答えを示した。「サダオ・ムネモリに対して合衆国最高の勲章である
議会名誉勲章を授け、彼の功績を永久に讃える」というものである。
 一回の作戦につき師団の中から一人にのみ贈られる最高の勲章。弾圧の中にある日系人に対して、それが贈られる事になるとは
誰一人として想像すら出来なかった。
 サダオ・ムネモリは自らの勇気と献身によって議会名誉勲章を手にした。その瞬間、日系人と白人の間に垣根は無かった。サダオは
一人の「アメリカ人」として最高の賞を手に入れたのだ。

 サダオの死から一ヵ月後の1945年5月7日。ドイツは連合国に無条件降伏し、戦争は終わった。


12 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:48 ID:HUa6tZKD
>>5
ノシ<ネタきぼんw

13 :日出づる処の名無し:04/03/26 14:52 ID:HUa6tZKD
《Go For Broke》
 戦後、日系人達の新たな戦いが始まった。失われた名誉を取り戻すための戦いだ。442連隊に所属した兵士達は故郷に戻り、苦しい生活を送りながらも、
皆の為に地位向上に励んだ。戦場で培った忍耐と努力を武器にアメリカ社会に挑んだ日系人達は、互いに支えあい、貧困と屈辱を跳ね返していった。やがて
彼等の子供達、日系三世が社会に出る頃には、日系人達の地位は完全に元の状態に戻っていたのである。
 442連隊に所属した者達はこう言う。「ニセイという言葉は我々に誇りを与えてくれた。すなわち、我々はアメリカの地で産まれたアメリカ人なんだという誇りだ」
 2000年6月。442連隊の兵士達19名に議会名誉勲章が贈られた。かつて議会名誉勲章に匹敵する功績をあげていながら、時代の流れの為に受賞を逃した
為である。これだけ多くの者が一度に議会名誉勲章を授けられた事は無かった。アメリカ建国以来、初めての大規模な授与式がホワイトハウスにて執り行われた。
 60年の時を経て、サダオとその仲間達は議会名誉勲章を通じて再び結ばれた。差別に勝利し、真のアメリカ人となり、最高の栄誉を手にしたニセイ達は、
今日も変わらず「Go For Broke - 打ち砕け!」の精神と共に生きている。

14 :陸奥 ◆Mutsu.Oznc :04/03/26 18:37 ID:vooB1dzV
>>1 乙!

極東板に来たのはこのスレがきっかけだったな。
良スレ復活age


15 :日出づる処の名無し:04/03/26 19:03 ID:Ujsa0T71
>>12
ねた探してくる

7-13は「442連隊戦闘団」に詳しく書かれてる。
著者は矢野徹で角川文庫だったような記憶が・・・・

子供にも読ませたいと取っておいたんだけど、引越しの際紛失
復刊に是非一票入れてください。

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=2778

16 :日出づる処の名無し:04/03/26 19:41 ID:HUa6tZKD
遅まきながら関連リンクを貼っておきますね

泣ける話
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/984375960/
http://yasai.2ch.net/army/kako/984/984375960.html

★泣ける話 Part2★
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/995188351/
http://yasai.2ch.net/army/kako/995/995188351.html

復刻★泣ける話
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1004354273/
http://yasai.2ch.net/army/kako/1004/10043/1004354273.html

泣ける話@軍事板第4章
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1015673299/
http://yasai.2ch.net/army/kako/1015/10156/1015673299.html


17 :日出づる処の名無し:04/03/26 19:55 ID:HUa6tZKD
【軍事】泣ける話【Part5】
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1058872641/
【壮絶】魂を揺さぶられたこの一枚【太平洋戦争】
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1062494036/

上はdat落ちですが下は健在です。。。。。

18 :日出づる処の名無し:04/03/26 21:04 ID:HUa6tZKD
陸軍衛生伍長 伊藤 甲子美命 二十六歳
マリアナ島にて戦死


季代子 かう呼びかけるのも最後になりました。短かつたけど優しい妻でした。
有り難く御礼申し上げます。
まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れた様な気がして嬉しく思つていました。
折角永遠の誓ひを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、
陛下の御盾として果てる事は、私にとりましても光栄と存じます。
短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、
すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思ひます。
若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。
私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して悲しみません。
さやうなら季代子、何一つの取り柄のない夫を持つて、さぞ肩身の狭き思ひで有りませう。
至らない身、お詫びを致します。
何日の日か幸福な妻にさして上げたく思ひ乍ら、その機会もなく心残りでなりません。
どうぞ御健やかに御暮らし下さいます様、お祈り致しています。さやうなら。

昭和十九年五月三日 伊藤 甲子美
季代子様




19 :日出づる処の名無し:04/03/28 07:16 ID:gVZvrly3
硫黄島探訪より抜粋

 戦後、戦争といえば飢えや空襲など、戦場よりも後方の庶民の悲惨さを強調
する語られ方が一般化しました。(庶民の生活の場がそのまま戦場になった
沖縄戦は別ですが。)そのため硫黄島の攻防戦は東京大空襲などのかげに
隠れています。しかし、硫黄島の日本兵たちが、勝つどころか、生還の望みも
ない戦いを最期まで続けたことをもう一度見直してもよいと思います。そして
その戦いは、火山ガスと地熱のこもる地下陣地で、食料も水も不十分な状態で
1ヶ月以上にわたるという史上まれにみるものだったのです。彼らをここまで戦
わせたのは「生きて虜囚の辱めを受けず」という東條英機の訓示(「戦陣訓」)だった
のでしょうか。私は違うと考えます。硫黄島の日本兵は、自分たちの抵抗が少しでも
本土空襲を妨害し、本土決戦を遅らせることになると信じていたからこそ、あれだけ
苦しい戦いを続けられたのだと思います。少なくとも、アメリカが本土空襲の支援基地
として硫黄島を使うことを1ヶ月近く遅らせたことは確かです。これがもっと早く実現
していれば、東京大空襲などの首都圏への空襲はより激烈に行われ、より多くの
犠牲者を出したでしょう。ですから硫黄島の日本兵は自分たちの生命と引き替えに、
多くの日本国民を空襲から救ったのだと私は信じています。また、栗林中将の判断で、
小笠原・硫黄島の住民が早いうちに、しかも十分な護衛付きで本土に疎開できたこと
により、島民が戦禍に巻き込まれることを最小限に抑えられたことも知っておいて
欲しいと思います。(旧硫黄島島民が戦後、帰住を認められていないという問題は
ありますが、これはGHQと日本政府の判断によるものであり、栗林兵団の責任では
ありません。)ですから、こうした守備兵たちの勇戦を後世に語り伝えることは、
戦争美化や軍国主義とは別の次元のものだと思います。

20 :日出づる処の名無し:04/03/28 07:18 ID:gVZvrly3
平成6年小笠原諸島復帰25周年の折に天皇御製のお歌

精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ

21 :日出づる処の名無し:04/03/28 07:56 ID:gVZvrly3
<硫黄島玉砕>:栗林中将の訣別電
戦局遂に最期の関頭に直面せり、十七日夜半を期し小官自ら陣頭に立ち皇国の必勝と
安泰を念願しつつ全員壮烈なる攻撃を敢行する。敵来攻以来、想像に余る物量的優勢を
もって陸海空より将兵の勇戦は真に鬼神をも哭かしむるものがあり。
しかれども執拗なる敵の猛攻に将兵相次いで倒れ、ためにご期待に反しこの要地を敵手に
委ねるやむなきに至れるは、誠に恐懼に堪えず幾重にもお詫び申しあぐ。
今や弾丸尽き水枯れ、戦い残るもの全員いよいよ最後の敢闘を行わんとするにあたり、
つくづく皇恩の忝さを思い粉骨砕身また悔ゆるところにあらず。
ここに将兵とともに謹んで聖寿の万歳を奉唱しつつ、永久のお別れを申しあぐ。
防備上に問題があるとすれば、それは米国との物量の絶対的な差で、結局、戦術も対策も
施す余地なかりしことなり。
なお、父島、母島等に就いては同地麾下将兵如何なる敵の攻撃をも断固破砕しうるを確信
するも何卒よろしくお願い申し上げます。終わりに駄作を御笑覧に供す。なにとぞ玉斧をこう。
国のために重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
仇討たで野辺に朽ちじ吾は又 七たび生まれて矛を報らむぞ
醜草の島にはびこるその時の 国の行く手一途に思う



22 :愛国者@一般人 ◆GdyrK1vk.6 :04/03/28 19:08 ID:oHvpbrIN
ガイシュツOKってことなので、某所より「ひうらさんの思い出」を引用します。

 大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗り込んで北洋漁業に従事していた、
ひうらさんは、突然旧ソ連の警備船艇に拿捕され、乗組員一同、ウラジオストックに連行、抑留されました。
 そこでの取り調べは惨たらしいもので、ありもしない犯罪の自白を強要され、
半殺し状態で再び日の目を拝めるかと思った程でした。
 次の日、再び鉄格子の中から引き出されました。
 いよいよ殺されると半ば覚悟した途端、何故か旧ソ連官憲の態度が
手のひらを返すように豹変し、ロシアンティーまで振る舞われて、にこやかに釈放されるではありませんか。
 捜査は打ち切られ、無罪放免となった彼等は施設の外に出ました。
 彼等は「ともかく港へ向かおう」とふらつく足を海に向けました。

 その瞬間、何故、助かったかが判りました。

(ここからは、本文をそのまま引用します。)
 沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、
各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ
 陛下の赤子にかすり傷だに負はせなばウラジオストックそのものを消滅させんばかりの
圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威圧して呉れてゐたのです

 旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう
 皆、感泣しました

 鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで‥‥

 こうして彼等は無事、日本に帰ることができました。
 取るに足らない漁船の、わずかな人数の乗組員の為に、大国相手の戦争も辞さず、
瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖国日本に報いる為、と、その後、ひうらさんは一層仕事に励んだそうです。


23 :前スレから:04/03/28 19:44 ID:gVZvrly3
495 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:03/09/07 02:09 ID:2QP3t8jQ

ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5410/tokko_episode/kaoru_kuteitai.html
南方のある戦線では、高砂義勇隊の兵士が、日本の戦友達に食べさせる食糧を探しに出かけたが、
いくら待ってもその兵士はジャングルから戻らず、おそらく戦死したものと考えられていた。
ところが後に発見されたとき、その兵士は両手に食糧を抱えたまま「餓死」していたのである。
日本の戦友に食べさせる食糧にはいっさい手を付けずに餓死を選んだのだった。

・゚・(つД`)・゚・



24 :日出づる処の名無し:04/03/28 19:49 ID:gVZvrly3
>>22
いい話ですよね、これ。
それに比べて今の日本は・・・と嘆かざるを得ません。・゚・(ノД`)・゚・。
共和水産の一件や日本海の韓国密漁船の跳梁を許している日本は一体・・・

25 :日出づる処の名無し:04/03/28 23:04 ID:gVZvrly3
876 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/18 00:47 ID:???
>>848
混成第2旅団工兵隊小隊長の浅田慎二中尉がスプルアンス提督あてに残した遺書のことか?
(5月13日に摺鉢山の地下壕で数名の部下とともに手榴弾で自決)
『閣下の私等に対する御親切なる御好意誠に感謝感激に堪えません。
閣下より頂きました煙草も肉の缶詰も皆で有難く頂戴いたしました。
御奨めによる降伏の儀は日本武士道のならいとして応ずることはできません。
もはや水も無く食も無ければ13日午前4時を期して全員自決して天国へ参ります。
終りに貴軍の武運長久を祈りて筆を止めます。』

26 :日出づる処の名無し:04/03/29 07:37 ID:x+4UGkKu
266 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:03/07/04 18:26
軍人はあまり好きになれんが、ニューギニアの18軍司令官だった安達二十三中将は別だな。
厳格だが己にも厳しく、部下思いで苦楽を共にした、キリスト教信者だったという話も・・・。
彼はラバウルの戦犯法廷が終結した後、部下の釈放を見届けると自決を遂げたが遺書が泣かせる。
「小官は皇国興廃の関頭に立ちて、皇国全般作戦寄与の為には、何物をも犠牲にして惜しまざる
べきを常の道と信じ、打ち続く作戦に疲憊の極に達せる将兵に対し、更に人として堪ゆる限度を
遼に超越せる克難敢闘を要求致候。之に対し、黙々之を遂行し力尽きて花吹雪の如く散り行く若き
将兵を眺むる時、君国の為とは申しながら、其の断腸の思は唯神のみぞ知ると存候。当時小官の
心中堅く誓いし処は、必ず之等若き将兵と運命を共にし、南海の土となるべく、仮令凱陣の場合と
いえどもかわらじとのことに有之候・・・・(以下略)」

27 :前スレより:04/03/29 12:17 ID:x+4UGkKu
354 名前:日出づる処の名無し[] 投稿日:03/08/12 13:38 ID:AsOqYo2J
母方の実家の仏壇に先祖の名前以外の御位牌がありその理由を尋ねた。
じっちゃんが話してくれた話をかいつまんで書くと・・・・

徴兵で配属された部隊に同郷の出身者がいて、身の上話をする間柄になってた
戦局も押し迫ったある日、敵の襲撃を受けその部隊は大混乱になり撤退命令が
出たのだが、じっちゃの隊は自軍の速射砲や野砲の破壊破棄を命ぜられ
敵の進撃が間近に迫る中、破壊作業を終えると同時に敵の戦車と兵隊が襲い
襲い掛かってきて、隊はほぼ全滅。残る日本兵を米兵が撃ち殺し始めた。

じっちゃんも戦死を覚悟し、手榴弾で自決攻撃をかけようとした時に
同郷の出身者が、じっちゃんの手から手榴弾をもぎ取り「俺には嫁も子供も
親ももうおらん、俺が突っ込むけん逃げなっせ!」と言い放ち敵軍の中に突っ込み自爆。

敵の一瞬の混乱に乗じて、じっちゃんを含む数名は何とか脱出し、その後終戦で
捕虜収容所から日本に復員し、その同郷の出身者の一族を探したが見つからず
じっちゃんの家の仏壇に入っていただいているとの事。
「あんのとき、あの人がおらんやぅたら○○(戦後に生まれた長男)はおらんやったけん
○○はあの人の名前から一字頂戴しとるんよ」この話を聞いた頃はなんとも感じなかった
けど、今思い出してちょっと涙が出てきてしもうた。

幸い、当家では父方も母方も戦死した人はいないが、生き残れたのは多くの
戦友の戦死があったからだといい、毎年靖国に参拝していた。
そんなじっちゃんも鬼籍に移ったが、今は孫の漏れが靖国に参拝するようにしている。

28 :日出づる処の名無し:04/03/29 12:50 ID:x+4UGkKu
457 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/12/28 15:43
うちの祖父の話。終戦後日本に引き上げ、その直後病死。
看病していた祖母がふと「この国はどうなっていくんでしょうね」と漏らしたところ、
祖父は咳き込みながらもこう言ったという。

「大丈夫だ。俺は信じているからね。あの子(息子。我が父親)や、多くの子供達が
やがて大きくなってこの国を支えてくれる。さらに、その子供達も。
俺は、今いる全ての子供達、孫達を信じている。大丈夫だ、あの子達ならこの国を
立派に背負っていってくれる。だから、俺の仲間達も安心して散っていけたんだ……」

父も、そして今は祖父と同じ墓の下で眠る祖母も、この話をよく聞かせてくれた。
今の自分より若くして逝った祖父よ、今の日本はあなたが望んでいた通りの国だろうか、
とふと思うことがある。祖父が「信じている」と言ってくれた中には自分も含まれている。
そんな祖父や、戦争で亡くなった人々の思いに恥じない生き方をしたいと、改めて思う。

29 :日出づる処の名無し:04/03/29 13:00 ID:x+4UGkKu
926 名前:バーチャバカ一代[] 投稿日:02/03/08 23:09
この話、既出ですか?出てたらごめんなさい。

命かけ住民守った13秒 
なぜ、航空自衛隊のパイロットは「ベイル・アウト(緊急脱出)」を二回叫んだのだろうか。

平成十一年十一月二十二日午後、航空自衛隊入間基地所属のT33ジェット練習機が
埼玉県入間川の河川敷に墜落した際、東京電力の高圧送電線を切断し、東京・埼玉の約八十万世帯で停電と
なった事故で死亡した二人の乗員と管制塔との交信記録が示す疑問である。

今年四月、空自の事故調査委員会が発表した調査結果によると、パイロットは「ベイル・アウト」を通報した後、
十三秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいた。
航空自衛隊関係者は「いったん脱出しようとしたが、さらにもうちょっと頑張ろうとしたためではないか」とみる。

事故当時、私立狭山ケ丘高校(埼玉県入間市)の校長、小川義男さん(六七)は、国道16号を車で移動中、突然、
停電で信号機が消え、白バイなどが大急ぎで走り去る中、立ち上る白煙を見た。
その後、校長仲間である私立西武文理高校の佐藤英樹校長が「あのジェット機は私の学校の上を飛んで河川敷に
飛び込んでいった」と小川さんに語った。

おそらく、最初に「ベイル・アウト」を叫んだ後、航空総隊司令部所属、
門屋義広・三等空佐(四八)と航空幕僚監部人事教育部所属、中川尋史・二等空佐(四七)
の目に映ったのは、住宅街、さらにはそこに点在する狭山市立柏原小、中学校、西武文理高だったのだろう。
事故機を十三秒間操縦し、住宅地を避けるように東側に進路をとり送電線に接触する直前、緊急脱出した経緯を
事故調査結果はこう記述する。

30 :日出づる処の名無し:04/03/29 13:01 ID:x+4UGkKu
続き
「継続して操縦し続け、安全な脱出に必要な高度および速度の余裕を失った。
その結果、緊急脱出の際、機体が前のめりになり、適正な脱出姿勢がとれず、首の骨を折った」
墜落現場から住宅街までわずか五十メートル。
小川さんはパイロットの犠牲的精神をたたえずにはいられなかった。
昨年十二月一日号の生徒・父母向けの学校通信『藤棚』に思いをつづった。

「彼らは、助からないことを覚悟した上で高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近しました。
そうして他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性にかけて脱出装置を作動
させたのです。
死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったのは、家族の顔でしょうか。それとも民家や学校を巻き添えにせずに
すんだという安堵感でしょうか。
他人の命と自分の命の二者択一を迫られたときに、迷わず他人を選ぶこの犠牲的精神のなんと崇高な
ことでしょう」

小川さんはさらにこうも訴えた。「愛の対象を家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を
英雄と呼ぶのです」

31 :日出づる処の名無し:04/03/29 19:12 ID:x+4UGkKu
30届いたーヽ(´ー`)ノ

しかし釣りも煽りもサヨコピペも来ないこの過疎ぶりw

32 :日出づる処の名無し:04/03/29 19:30 ID:9mKIaKU1
軍板とかぶるからなぁ

33 :日出づる処の名無し:04/03/29 20:49 ID:x+4UGkKu
>>32
軍板は煽り厨で賑わってますねえw

34 :日出づる処の名無し:04/03/30 22:48 ID:knwzwTEC
保守

35 :たれ ◆TAREurn8FE :04/03/31 04:39 ID:FIYNQJPx
ああ、このスレ復活したんだ・・・嬉しいなぁ(ノ∀`)

36 :日出づる処の名無し:04/03/31 09:42 ID:Wer1+u8/
感動しちゃったYO。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン

37 :日出づる処の名無し:04/04/01 12:13 ID:Ug7HrYzY
好スレなのだがさすがにネタ枯れかな?スレ伸びないねぇ

38 :日出づる処の名無し:04/04/01 20:41 ID:BL9pWZjk
28が特に泣けるね。。。。

39 :日出づる処の名無し:04/04/01 20:47 ID:BL9pWZjk
ageてしまった

40 :日出づる処の名無し:04/04/01 21:26 ID:zUm82UJx
>>15

俺もこの本無くしちゃったんだよなぁ。
古本屋を探しているんだけど見つからない。

俺が好きな(というか胸を締め付けられる)エピソードは、
救出したテキサス大隊の隊長が救出後に「礼を言いたいので
大隊を集合させろ」と命じ、いざ訓示しようとしたら目の前にいる
兵のあまりの少なさに「俺は全員を集合させろと言ったはずだ」と
怒ったら、「目の前にいるのが大隊全員ですサー。残りは戦死
したか、病院におります」と言われたという話だった。


41 :日出づる処の名無し:04/04/01 21:30 ID:zUm82UJx
>>29

その話は覚えている。
というかマスゴミと左巻き連中の下劣さの証明の話としてだが・・・

せっかくの良レスを汚すかも知れんが、事件当時マスゴミ連中は
パイロットが自己の命を賭して河川敷まで機体を運んで結局
脱出の機を逸して死亡したというのに、墜落時に機体が高電線を
切断して付近一体が停電になったということを問題視していやがった。

俺はあの事件を忘れん。


42 :ありんした:04/04/01 21:56 ID:Bp20Rl9d
>>40
http://search.easyseek.net/search/?_dm=%81%95&vt=0&act=search&sitem=442%98A%91%E0%90%ED%93%AC%92c&c_no=101241

43 :日出づる処の名無し:04/04/02 00:34 ID:V0gVWNQ6
『鉄十字のエースたち』13章「神々の黄昏」
R・F・トリヴァー、T・J・コンスタブル著
手島尚訳
―――――先頭に立った指揮官たちはいずれも既に倒れ、あるいは倒れる運命にあった。
ガランドは膝から敵弾の弾片を摘出したばかりで、歩くこともできなかった。彼の弟、ヴルヘルム
(少佐、五十五機撃墜)とパウル(少尉、十七機撃墜)は戦死していた。三百一機撃墜のバルクホルンも
重傷で入院していた。不時着の際に風防で首を挟まれるのを危うく免れたのである。シュタインホフは
激しい火傷のために生死の境をさまよい、その後数年間も苦しみ続ける運命にあった。剛直な武人、
リュッツォフは武勲輝く祖先の英雄たちの下に去って行った。
戦績と名声を兼ね備えたメルダース、ヴィック、エーザウ、マイヤー、ノヴォトニー、キッテル、フィリップなどは、
航空戦史に輝く名を残して戦死した。北アフリカの砂漠にはマルセイユが眠っている。彼の簡素な墓標はドイツの
希望が最高水位に高まった点を示しているように思われる。そこから遠くないチュニジアではミュンへベルグが
戦死した地点に葬られている。
これらの英雄たちと並んで、最初の一機を撃墜する前に戦死した大勢の若いパイロットも含めて、
膨大な数の戦闘機パイロットがヴァルハラ(戦死した英雄が呼び集められるといわれる北欧伝説上の神殿)
に招かれて行った。
・・・・・・ドイツ空軍の活躍を支えたものはナチに対する狂信的な支持だと短絡的に考える人も多いが、ドイツの戦闘機
パイロットたちの勇敢な行為はもっと理性的な動機に支えられていたのである。

44 :日出づる処の名無し:04/04/02 00:35 ID:V0gVWNQ6
本土防空戦で戦った戦闘機パイロットたちを支えていた最大の動機は、連合軍の無差別爆撃による
ドイツ民間人の大量殺戮を少しでも押さえ、できれば防ぎ切りたいという願いだった。
パイロットたちは地上で惨状を見たために、自分の限界を越えた戦いに繰り返し自分を駆り立てて
行ったのである。著者たちはパイロットに対する調査の結果、この見方に確信を持っている。
・・・・・・彼らが戦闘機に乗って飛び上がった時に頭に浮かべるのは、ここで自分が爆撃機を
一機撃墜すれば、女性や子供を大勢含んだ数十人の同胞の命を救うことができるのだ、という考え
だけだった。この動機は英国空軍の戦闘機パイロットがドイツの爆撃機を迎撃した時の気持ちと何の違いもない。
・・・・・・ドイツの戦闘機パイロットは、飛行機と燃料と滑走路がある限り、停戦命令が下された日の朝まで戦った。
彼らは長く苦しい大戦の全期間を通じ、勇気と騎士道精神とフェアネスを持って戦った。


45 :日出づる処の名無し:04/04/02 00:36 ID:V0gVWNQ6
・・・・・・ドイツ空軍のエース一族は伝統的な軍人の道徳律を守って戦った。空中であれ、
地上であれ、男と男の間で守り続けるべき仕来りを重んじたのである。
・・・・・・ドイツのエースたちが騎士道を守っていたという事実について、連合軍パイロットの
証言が数多くある。落下傘降下するパイロットを襲うことは戦闘行為ではなく、単なる殺人である
と彼らは考え、この原則から逸脱することはなかった。彼らは戦争には敗れたが、軍人の誇りと魂を失わなかった。
ルドルフ・ジンナー少佐はこの点をはっきりと裏づける考えを書き記している。
《戦いが終わり、おたがいに兜の面頬(ヴァイザー)をはね上げた時、分別をわきまえた尋常な
相手の顔が現れれば、双方とも心が安らぐものだ。もし狂信的な激情に歪んだ顔が現れたとすれば、
彼は猿にも劣る者であり、勝利を誇る資格はない。そして、この一度の戦いに敗れた者は、二重の屈辱感を味わうのだ》

46 :日出づる処の名無し:04/04/02 00:54 ID:V0gVWNQ6
一騎当千の猛者達も衆寡敵せず次々に連合軍の物量に押され散ってゆく最終章に
この文があるのだけど漏れ的には名文と感じたもので貼ってみたけど少し極東とは板違いでスマソw


47 :日出づる処の名無し:04/04/02 02:20 ID:qC9uCo9g

すいません教えて君で申し訳ないのですが、
2ちゃんのどこかのスレで見かけたきりその後検索しても
探せないので、どなたか知っていたら教えてください。

北欧の独立戦争の時に日本の海軍廟で製作された大砲が
非常に活躍して、ロシアとの戦争の際も砲身が熱で歪むまで
うちまくって独立後にシンボルになったという話を見かけたんですが、
そのお話が読めるスレかHPを知らないでしょうか?

いろんな用語で検索してみたんですが、記憶がウロ覚えなため
引っかかってこないのです。


48 :日出づる処の名無し:04/04/02 07:19 ID:V0gVWNQ6
>>47
フィンランドあたりの話でしょうかね?
その手の話は軍板で聞いたほうが見つかりやすいかと・・

49 :コヴァ:04/04/03 16:44 ID:AFWDcP1I
そればかりか、38式歩兵銃もたくさん輸出されていて、狙撃銃として大量のソ連兵を血祭りに挙げた。
(驚くべきことに、今でも現役の猟銃として北欧では人気がある)
38は時代遅れどころか、今次大戦でも立派に、しかも地球の裏側で戦っていたのだ。

50 :日出づる処の名無し:04/04/03 18:24 ID:Z2UhTNhn
>>47

第一次ソ連-フィンランド戦争、いわゆる「冬戦争」の
エピソードですね。

「雪中の奇跡」
梅本弘著 大日本絵画

くわしくはこちらをどうぞ。



51 :日出づる処の名無し:04/04/03 20:32 ID:X2o6Df1H
皆様、
いい話をありがとうございました。
つい最近に、クソサヨクの洗脳から解き放たれまっとうな日本男児になれた漏れです。

がんがれ日本。もっと、意志表示が強くまともに出来る強い国になってほしい。
最近の外交関係のニュースを見ていると情けない。

先人達をもっと見習ってがんがってくれ。

漏れも少しづつできることをやっていく。

52 :日出づる処の名無し:04/04/03 21:19 ID:C+C6JmLK
>>44あたりに書かれてる事ってのは神風特攻隊にも共通するね。
ドイツ軍パイロットが戦爆連合数百機の連合軍の大編隊に挑むのも、雲霞の様な直掩機とVT信管
に守られたアメリカ艦隊に突入するのも故郷と愛する人々を守る気概が無くては出来ないよ。

53 :日出づる処の名無し:04/04/03 21:21 ID:JaefHpAO
俺は硫黄島の島民の子孫なんで、硫黄島のエピソードが読めて嬉しかったです。

54 :日出づる処の名無し:04/04/03 22:00 ID:C+C6JmLK
俺もせっかくなのでお土産を

鎮魂・南海の「えひめ丸」 ttp://www.mrr.jp/~jf9hjs/ehimemaru4.htm

えひめ丸と日米相互理解
船体引き揚げ、遺体捜索、遺留品や船備品の回収作業は終了した。
当初の作業見込み期間を大幅に延長して行わねばならなかった作業だったが、
米海軍を始めとする関係者の真摯な行動が、今回の結果を迎えることができたと考える。
また、日本政府も共同歩調をとり、ことに海上自衛隊や海洋調査船などを派遣して
捜索にあたった事は大きな意義があったと思う。

ことに、引き揚げに関する技術的な困難と、
見積もりよりはるかに超過する経費負担にも拘わらず、
遺族の心情を汲み、
文化の違いから、日米間に「しこり」が残る可能性を理解して、
その課題を払拭された米国政府の姿勢を多とするものだ。




55 :日出づる処の名無し:04/04/03 22:01 ID:C+C6JmLK
遺体引き揚げでは水口君の遺体が揚がらなかったことは無念であった。
しかし、日米潜水隊員の200回以上にも及ぶ捜索活動は遺族をはじめ、
作業を見守っていた全ての人々に充分な納得のいくものだ。

遺族からも捜索に最大限の努力が払われたことに感謝のコメントがあったことは
現場作業者と潜水隊員にとって苦労が報われたと感じられたことだろう。

えひめ丸はホノルル空港沖の浅瀬から、
南西約30kmの海域(水深およそ1800m)に沈めることになった。(11/25)

えひめ丸はアメリカ領海外の南太平洋で、水口君と共に永遠の眠りに就く。

漁業実習船とハワイ諸島との交流は長い。
実習生たちは処女航海で最初の上陸地がホノルルになることが多い。
長い実習航海を終えて、ホノルルの岸壁にあがったときの印象は新鮮だ。
ホノルル滞在中の楽しい記憶と共に永く心に残るものだ。

今回の事件は悲惨な記憶として残ること、本当に残念だ。



56 :日出づる処の名無し:04/04/03 22:02 ID:C+C6JmLK
しかし、ここにアメリカと日本の異文化部分の障壁を乗り越えて、
新しいモニュメントを建てることになったと解釈すべきでないだろうか。

漁業実習船はこれからもハワイ諸島と交流を深めるだろう。
南太平洋の玄関として、実習生たちに親しまれることを疑う余地はない。
えひめ丸はオアフ島に、
新しい日米文化交流の礎を造ってくれたと確信したい。

折りしも、12月7日は60年前の忌まわしい記憶が蘇る日でもある。
真珠湾攻撃で戦争の火蓋が開き、太平洋が悲惨の極みになり、
原子爆弾で決着がついた記憶は今も胸の奥底に刻み込まれている。
そのオアフ島で、えひめ丸が東西文化交流を促してくれたのだと。

新世紀を迎えたいま、世界各地で紛争が勃発し、宗教・文化の摩擦が絶えない。
同時多発テロが世界を震撼させ、不安な新世紀を予測させるいま、
日米はその不安定要素を解消すべく、障壁を乗り越えて作業を完遂しようとしている。

えひめ丸は日米関係に新たな一頁を加えてくれた。


57 :日出づる処の名無し:04/04/03 22:03 ID:C+C6JmLK

ブッシュ大統領は真珠湾攻撃60周年のコメントで、以下のように述べている。

Bush praises Japan for war on terrorism
President George W. Bush praises Japan's cooperation in the campaign against terrorism,
on the 60th anniversary of the Pearl Harbor attack..
(Japan Times 2001/12/09)


南海の海よ、星よ

えひめ丸よ、水口君を抱いて眠れ
ホノルルは永遠に日米の橋であれ

少年たちよ
海を恐れるな
南天の星雲が君たちを迎えてくれるから


58 :日出づる処の名無し:04/04/04 19:28 ID:162WbCSc
>>54
ワドル艦長が事故の直後、弁護士に連絡を取ったことが(一部日本側マスコミでは)問題にされていたが、普通のアメリカ人の対応としてては普通の
事だろうと思う。

この前の三菱ふそうのバカ社長に比べれは、ワドル艦長の謝罪は真摯なものを感じられたと俺は思う。

59 :日出づる処の名無し:04/04/04 23:49 ID:Z6SnboHR

まあ、ワドル艦長には気の毒だとは思ったが、
この事故と韓国船が日本の漁船にぶつかって
さらに事故を検証している海保の船に突っ込んできた
という事件に対するマスゴミ報道の量や質の違いが
連中の本質を明らかにしてくれたのはありがたかった。

何しろ2ちゃんねらーがTV局に電話して「なぜこの事件をえひめ丸の
ように報道しないのか」と尋ねたら「何を報道しようが俺たちの勝手だ」
という答えが返ってきたという話があったし。


60 :日出づる処の名無し:04/04/05 23:58 ID:SpieH5rZ
26 :名無し三等兵 :02/11/09 10:51 ID:???
消防のときミリタリーブームでプラモをよく作った。
日本ものでは戦闘機・戦艦をたくさん作りドイツは戦車を棚の上に並べて悦に浸っていた。
ある日遠方から爺さんが来てそれを見て
「おお、戦車好きか。日本のはどれだ?」と聞かれたので松本零士の戦場漫画シリーズから
知った日本戦車の弱さを3分ほど聞かせ「そんなボロいのいらない」と締めくくると
「そうか、そうか」と言いながら笑っていた。
数年後爺さんの葬式の席で戦友だった方から戦車兵だったことを聞き、95式の隣に
たたずんでいる爺さんの写真を見たとき戦争に行ってたことすら知らなかった自分の
情けなさに涙が出た。


61 :日出づる処の名無し:04/04/06 15:55 ID:MsiZ6S8n
>60
これ前も見たけどすげー泣いたんだよね。今も…。・゚・(ノД‘)・゚・。
「そうか、そうか」と言いながら笑うお爺様に当時の日本男児の
潔さや強さを感じます。


62 :日出づる処の名無し:04/04/06 23:44 ID:U9ScE2dg
おお、いつの間にかこのスレ復活してたのか。
遅ればせながら

>>1乙!

63 :日出づる処の名無し:04/04/06 23:56 ID:oCnvc+tT
>>60
チハ大好きでス。。。・゚・(ノД`)・゚・。

64 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

65 :日出づる処の名無し:04/04/07 00:37 ID:TsFYKQ59
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は
進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を
忘れていた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずして
いつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る、
まさに本望じゃないか」
吉田満著「戦艦大和の最後」より
戦艦大和菊水作戦時乗込士官 臼淵大尉の台詞

今日は戦艦大和の59回目の命日。
沖縄救援に向かう途上で米艦載機の四次の渡る空襲を受け1945年4月7日14時23分2498名の乗員と共に沈没。
東シナ海(九州坊ノ岬沖)水深340m.北緯30度43分.東経128度4分。

・・・・・・・合掌

66 :疾風:04/04/07 00:42 ID:/O1/LPCp
感動しました
良スレだ

67 :kojimac ◆xYYWnElaTY :04/04/07 01:20 ID:BW8vfNj7
 昭和20年6月6日、鹿児島県は薩摩半島の中程、知覧町に
ある富屋食堂でのことである。知覧で出撃を待つ特攻隊員たち
はこの食堂に出入りし、なにくれと世話をやく女主人鳥浜トメ
を母親のように慕っていた。明日は死に行く少年たちのために
出来ることと言ったら、母親代わりになって優しく甘えさせて
やるしかない、そう思ったトメは私財をなげうって、特攻隊員
たちに尽くしていた。

 その前日、6月6日は宮川三郎軍曹の20歳の誕生日であっ
た。トメは心づくしの料理を作って、誕生日を祝うと同時に、
明日に控えた出撃のはなむけとした。途中、空襲警報が鳴って、
みなで防空壕に入る。防空壕の中で、宮川は幽霊のまねをして、
トメの娘礼子たちを怖がらせた。

 防空壕を出ると、星のない暗い夜がそこにあった。街の灯り
も灯火管制のために消されている。食堂の横には小川が流れ、
藤棚とベンチがしつらえてある。漆黒の闇の中、小川の上を大
きな源氏蛍が飛び交っていた。宮川の声がした。

68 :kojimac ◆xYYWnElaTY :04/04/07 01:21 ID:BW8vfNj7
 小母ちゃん、おれ、心残りのことはなんにもないけれど、
死んだらまた小母ちゃんのところに帰ってきたい。そうだ、
この蛍だ。おれ、この蛍になって帰ってくるよ。

「ああ、帰っていらっしゃい」とトメは言った。そうよ。皆川
さん、蛍のように光輝いて帰ってくるのよ、と心の中で言った。
宮川は懐中電灯で自分の腕時計を照らして言った。

 9時だ。じゃあ明日の晩の今頃に帰ってくることにする
よ。店の正面の引き戸を少し開けておいてくれよ。

「わかった。そうしておくよ。」とトメが答えた。

 おれが帰ってきたら、みんなで「同期の桜」を歌ってく
れよ。それじゃ、小母ちゃん。お元気で。

 トメには別れの言葉がない。死にに行く人を送る言葉なんて
この世にあるのだろうか。宮川軍曹の後ろ姿は暗い夜道に消え
ていった。

69 :kojimac ◆xYYWnElaTY :04/04/07 01:22 ID:BW8vfNj7
 翌日
  ラジオが9時を告げて、ニュースが始まった。その時、わず
かに開いた表戸の隙間から、一匹の大きな源氏蛍が光る尾を引
きながら、すーと店に入ってきたのであった。娘たちはほとん
ど同時に気がついた。

お母さーん、宮川さんよ。宮川さんが帰ってきたのよ。

 娘たちの叫びに、奥から出てきたトメは娘たちの指さすほう
を見た。暗い店の中央の天井。その梁にとまって明るく光を放
っている蛍を見つけた時、トメは息が止まるかと思った。部屋
の隅にいた兵士たちも集まって、蛍を見上げた。「歌おう」と
だれかが言った。みな肩を組み、涙でくしゃくしゃになりなが
ら、「同期の桜」を歌った。歌はトメの好きな第3連に進んだ。

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散らうとも
花の都の 靖国神社
春の小枝で 咲いて逢うよ

70 :kojimac ◆xYYWnElaTY :04/04/07 01:26 ID:BW8vfNj7
 平成4年4月22日夕刻、トメは90歳直前で一生を終えた。
「特攻の母、鳥浜トメ死す」のニュースは新聞やテレビに流れ、
富屋は弔問客や取材陣でごった返した。通夜の夜、ようやく遺
族が一息入れた所に、一匹の蛍が光る尾を引いてトメの柩のあ
る部屋をスーッと横断していった。

「見たか」「見た」「蛍だったよな」「そうだったよな」

 4月の下旬に蛍が飛ぶはずがない。それも部屋を横切ってい
くなんて。しかし、居合わせた人々は確かに見たのである。

 それは蛍になった宮川軍曹が「小母ちゃん」を迎えにきた姿
なのだろうか。それともトメ自身が蛍となって、息子のように
可愛がっていた大勢の特攻隊員たちのもとに飛んでいったのだ
ろうか。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog253.html





71 :日出づる処の名無し:04/04/07 11:37 ID:MfObXAMA
このスレ好きなんだなぁ。明日靖国行ってくるんだけど、
靖国神社の桜を涙ボロボロ流しながら見つめてしまいそうだ。


72 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

73 :日出づる処の名無し:04/04/07 22:29 ID:CSJZL7OD
あげ

74 :日出づる処の名無し:04/04/07 23:36 ID:gWYKSTe/
http://webclub.kcom.ne.jp/ma/yamasho/reforest-kaigan.htm
これもあげとく

結構気に入っています

本当に安心して生活するための森作りを、また森の維持管理をしている人は
コツコツと縁の下の力持ちの人は無口なんです。
ちゃんとした意味で環境を守っている、守ってきた人たちなんです。

指が土まみれになっている人たちなんです。

名のない日本人にGJ

75 :日出づる処の名無し:04/04/08 00:31 ID:IFiILm20
去年の忘年会で行った温泉街のソープのおばちゃん(推定55歳)は、かれこれ30年以上やってるって言ってた。
やはりオマンコは凄い事になってた。しかも上の歯が入れ歯だった。孫もいるんだってさ。
オマンコすっかすかで全然挿入感無いのにトレーシーローズばりの喘ぎ声で、「お兄さん固い!すごく固いよ!当たってるよ!はぁ〜!」
って叫ぶんだけど、全然6分勃ちなわけ。ティンコはどこにも触れてないような感覚。
そうだなぁ〜、例えると350mm缶をくり抜いたのに突っ込んでる感じかな?オマンコなんか全体的に飛び出してて、発情期のサルみたいなワケ。
そんでもって「おっぱい揉んで〜、はぁ〜」とか言ってんだけど、ほぼ棒読み。学芸会のレベル。
で、当然ながら口臭も結構凄いわけよ。ティンコもいい加減にゲンナリしちゃってね〜。
そんな事にはおばちゃんも慣れてるようでね、右手に唾液をたっぷり付けてさ、シゴクんけどさ。
これが逆手なんだ。逆手。シゴクというよりも刃物を突き刺す手つきなわけ。
少しすると唾が乾くでしょ?摩擦で。蒸発して臭いんだ、これが。緑亀の水槽の臭いに近い。
そんでおばちゃんの顔みると、次の唾を口の中で貯めてるわけだ。まだやるかって感じ。
そんな条件なのに、俺のティンコ、また勃ってきてさ。何だろね?自分でもビックリ。
そしたらおばちゃん、大量の唾をティンコにベッタリ塗りたくって。そしてやおらバックスタイルに構えてさ、こう言うわけ。
「お尻の方に入れていいよ〜、お兄ちゃんの、少し大きいけど、早く〜ぅん」言っとくけどココまで生だぜ?
で一瞬躊躇してると、おばちゃんテメェの肛門にも唾塗ってるわけ。
で、その指をもう一回自分の口に持ってって唾追加してんの。今度は指入れて中にも唾塗ってさ。
不思議なもんで、俺のティンコ、ギンギンになっちゃってさ。肛門に突き刺したよ。メリメリと。
いや、メリメリではなかったな。スポーンって入った。後はガムシャラに腰振って、振って振りまくった。
そんで射精した。中出し。おばちゃんの絶叫聞きながら果てた。ティンコ抜いたらさ、やっぱ糞がすげえ付着してんだよね。
まだら模様になってんの。で湯気が立ってた。。。

スレに参加するつもりが随分脱線しちゃったなぁ。誰かに話したかったのかな、、フッ、、。


76 :日出づる処の名無し:04/04/08 00:35 ID:IFiILm20
泣ける、とてもいいお話を紹介します

彼から突然の別れを告げられました。お前とはもう付き合えない。もう飽きたし、うざい。他に好きな女ができた。お前も他の男を見つけろよ
あまりに一方的な言い草に幻滅し、3年付き合った彼とそれっきりになりました。
それから私は少し焼け気味に、いろいろな男達と戯れていました。その中には彼の親友たちもいました。仕返しのつもりでした。

事の最中に、彼の親友が泣きだしたことがありました。私はどうしたのか分からず、とりあえず理由を尋ねました。
嗚咽交じりに謝りながら、彼が死んだと話してくれました。死因は白血病でした。私と別れた頃から症状がでていたようです。病名は告げていませんでしたが、自分の命が残りわずかであること、彼は自覚していたようです。

私を悲しませないため、わざと嫌われるようなことを言っていたのです。そうとは知らなかったとはいえ、私は自分が最低な女だと、自責心に苛まれました。彼に申し訳なくて、これまでに取った私の行動、感情までも悔やみました。

それから今日までの半年間、毎日欠かさず彼のお墓参りをしています。そのための交通費、お花代などを稼ぐため、今は彼の大好きだった風俗で働いています。

77 :日出づる処の名無し:04/04/08 00:36 ID:URXRVJII
>>75
ある意味泣ける話だが空気嫁

78 :日出づる処の名無し:04/04/08 01:43 ID:R65tSM5R
古いコピペだな
下らない荒らし方すんなや

79 :日出づる処の名無し:04/04/08 01:50 ID:R65tSM5R
脊髄反射レスしちまった。スマン。お詫びに貼っとくよ。

名前:軍板よりコピペ[sage] 投稿日:03/06/21 21:01 ID:YKMMzffI
最近買ったのですが、土井全次郎ー兵士の沈黙はいいです。 元朝日の記者ってのは
気に入らないが、泣ける話の宝庫ですよ。 ただあまり売ってないし、買えない人の為
要約して書きます、皆さんは陸軍が潜水艦を持っていたのを知ってましたか?
補給用に急造した300トンクラスのものです。 ただ陸軍が海軍に内緒で作った為
司令塔に目立つ日の丸。 昼間堂々と浮上航行し、船尾には日章旗を掲げて、目立つ事
この上なし、米潜がコレを発見して、あまりの無防備ぶりに困惑しとうとう攻撃をしかけ
られなかった代物でした、海軍の艦艇から、潜行可能ナリヤとからかわれたり、砲撃されたり
と散々でした。 ある日瀬戸内海で訓練航行中に前方より山のような巨大な物が接近してきた
戦艦大和である。 陸兵と言えどもその艦名は知っていた、岡田さんは以前から一度
登舷令をやってみたくてしょうがなかったので、これは良い機会と思い、手空きの者を
総員上甲板にあげて、軍刀を抜き、頭右ーを号令した。 岡田さんはしてやったりと満足だった
しかし、大和を見てもっと驚いた、向こうも甲板に100名位が整列して頭右をやっている
しかも最上級のラッパの演奏つきである。 高々300トンのオモチャのような潜水艦に7万トンの
巨艦が最上級の令を尽くして去っていた。 岡田も感激のあまりに涙がてできた。
時は昭和20年4月6日。くしく大和最後の出撃の日でもありました。

80 :日出づる処の名無し:04/04/08 13:36 ID:J0k1ijOm
>79ナケタ…。・゚・(ノД‘)・゚・。

81 :たれ ◆TAREurn8FE :04/04/08 14:02 ID:rQeEUd1R
丸輸艇か・・・・・。潜行しようとしたら船尾が浮いたとかそういう話しか思いつかな(ry
でも泣けた(ノД`)

82 :日出づる処の名無し:04/04/08 16:47 ID:J0k1ijOm
ココのスレだったと思うんだけど、自衛隊員の結婚式で
新郎のおじいちゃんが大和の乗組員だったっていうの
なかった?


83 :日出づる処の名無し:04/04/08 18:44 ID:SyKg5nwa
>>82
これですね。


泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。

ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、

自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。

私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。

84 :日出づる処の名無し:04/04/08 21:37 ID:djGSMkly
私も探しているのがあります。
兵隊さんが家族にあてた手紙で
「毎日空襲でこわいでしょう/兄さん(父さん?)が敵をとってあげます」
のような文面が含まれているの。
ここでボロボロ泣いたのだが、どなたが書いたものか
失念してしまいました。知ってる方いたらおながいします。

85 :日出づる処の名無し:04/04/09 01:12 ID:uyKVfOuF
吉田満『戦艦大和ノ最期』より

訓練休憩中、「桜、桜」ト叫ブ声 見レバ三番見張員ナリ
見張用ノ定置双眼鏡ヲ陸岸ニ向ケ、目ヲ当テシママ手ヲ上ゲタリ
早咲キノ花ナラン
先ヲ争ッテ双眼鏡ニ取附キ、コマヤカナル花弁ノ、ヒト片ヒト片ヲ眼底ニ灼キツケントス
霞ム「グラス」ノ視野一杯ニ絶エ間ナク揺レ、ワレヲ誘ウ如キ花影ノ耀キ
桜、内地ノ桜ヨ、サヨウナラ

86 :同期の桜@極東 ◆DoukiJieKQ :04/04/09 07:03 ID:6uKY32PX
>>84
新しい歴史教科書に紹介された神風特攻隊隊員の遺書ではないでしょうか。

原文カタカナ表記
ヤスコチャン、トッコウタイノ ニイサンハ シラナイダロウ。ニイサンモ ヤスコチャンハ シラナイヨ。
マイニチ クウシュウデコワイダロウ。
ニイサンガ カタキヲ ウッテヤルカラ デカイボカンニ タイアタリスルヨ。
ソノトキハ フミコチャント ゴウチンゴウチンヲウタッテ 
ニイサンヲ ヨロコバセテヨ。

ヤスコちゃん、特攻隊の兄さんは知らないだろう。
兄さんもヤスコちゃんは知らないよ。
毎日空襲で怖いだろう。
兄さんが仇を討ってやるから デカイ母艦に体当たりするよ。
その時は、フミコちゃんと 轟沈轟沈を唄って
兄さんを喜ばせてよ。

(自分の妹に残した手紙、沖縄にて戦死 享年19歳)

87 :日出づる処の名無し:04/04/09 12:09 ID:uSBPCcjB
「後世の人々よ、分かって欲しい。
誰よりも争いを憎み、平和を愛するが故に、
戦いに身を投じなければならなかった
若者達の悲しさを。」

靖国で読んだ特攻隊員の一文より。(名前など失念)

88 :日出づる処の名無し:04/04/09 14:05 ID:XX1rAMPw
>83
それです。どうもありがとうございます。
やっぱ泣ける…

知り合いに、舞鶴の海軍学校に行っておいでたお爺さんがいます。
戦争には行っていませんが、今でもそのことを誇りに思っているようです。
その誇りを守れる国にしなければと思いました。
スレ違いスマソ


89 :日出づる処の名無し:04/04/09 23:32 ID:rPRLl3lS
>>88
馬鹿みて〜w、そんなんで感動すんなよ糞ウヨ。

90 :日出づる処の名無し:04/04/10 00:56 ID:qB1jq/wV
終戦後。ビキニ環礁での核実験。「長門、沈まず」の報を聞き元艦長の未亡人曰く
「幾万もの英霊たちが水底をささえているのですよ」

核の直撃を受け傾斜したものの未だ浮いている長門に驚嘆した米海軍の被害調査隊の一人は
艦橋にこう書き残したという。
"Old Navy Never Die!(海の古強者は死なず!)"


91 :日出づる処の名無し:04/04/10 23:52 ID:UZvUc80y
前スレから見てますがここは極東板の良心とも言えるいいスレですね。
日本人の生き様、死に様を読み有る者は自分の不甲斐なさを恥じ再起を誓い、あるいは人や国を
愛する心を学ぶことが出来る。本来学校教育で教えるべきはこういったことであるべきでしょうね。
増えたレスを見るたびに何度も感動し涙することが出来ます。極東板の皆様に感謝。

92 :84:04/04/12 22:17 ID:Gh+IkZr5
>>86
ああ、それですっ!! どうもありがとうございます!

お礼だけではなんなので…
どこかの3バカ&その家族を見て脳裏をよぎった言葉を。
「ソ連はわれわれを人質にしている。(日ソ国交回復交渉で)われわれのために
国策を曲げるようなことは避けて欲しい。われわれは帰国の望みを捨ててでも
日本の国に損害を与えたくない。そう政府に伝えて欲しい」
昭和30年9月、シベリア抑留者の代表による演説です。

93 :日出づる処の名無し:04/04/12 22:23 ID:il6gd3+Y
感動しますた。・゚・(ノД`)・゚・。ニッポンマンセー!!!!

94 :日出づる処の名無し:04/04/12 23:11 ID:Z3/cYLsB
>>92
BQNどもに読ませてやりたいよ・・・

95 :日出づる処の名無し:04/04/12 23:19 ID:il6gd3+Y
「夜分、とつぜんにお伺いしまして、恐縮しております。」
流暢な日本語でカウフマン博士は毛皮の外套を脱ぎながら言った。昭和12(1937)年12月、
満州ハルピンの夜は零下30度近くまで下がり、吹雪が続いていた。博士は、
50を超えたばかりの紳士で、ハルピン市内で総合病院を経営し、日本人の間でもたいへん
評判のよい内科医であった。大の親日家であると同時に、ハルピンユダヤ人協会の会長として、
反ナチ派の闘士でもあった。カウフマン博士が訪ねたのは、8月にハルピンに赴任してきたばかりの
ハルピン特務機関長・樋口季一郎少将である。満州国の主権を守り、満州人の庇護に極力努めるように
訓示した。カウフマン博士は、その樋口に重大な頼み事を持ってきたのである。
それは、ハルピンで極東ユダヤ人大会を開催するのを許可して欲しいということだった。
ナチス・ドイツのユダヤ人迫害の暴挙を世界の良識に訴えたいというでのある。
樋口はハルピンに来る前にドイツに駐在し、ロシアを旅行して、ユダヤ人達の悲惨な運命をよく知っていた。
樋口は即座に快諾し、博士を励ました。

96 :日出づる処の名無し:04/04/12 23:20 ID:il6gd3+Y
・・・・第一回の極東ユダヤ人大会終了後、ハルピン駐在の各国特派員や新聞記者達が、いっせいに樋口を包囲した。
イギリス系の記者が、ぐさりと核心をついた質問をしてきた。
ゼネラルの演説は、日独伊の三国の友好関係にあきらかに水をさすような内容である。
そこから波及する結果を承知してして、あのようなことを口にしたのか。樋口はまわりを取り囲んだ十数人の
新聞記者やカメラマンにやわらかい微笑をかえして言った。
日独関係は、あくまでもコミンテルンとの戦いであって、ユダヤ人問題とは切りはなして考えるべきである。
祖国のないユダヤ民族に同情的であるということは、日本人の古来からの精神である。
日本人はむかしから、義をもって、弱きを助ける気質を持っている。
今日、ドイツは血の純血運動ということを叫んでいる。
しかし、それだからといって、ユダヤ人を憎み、迫害することを、容認することはできない。
世界の先進国が祖国のないユダヤ民族の幸福を真剣に考えてやらない限り、この問題は解決しないだろう。
樋口の談話は、それぞれの通信網をへて、各国の新聞に掲載された。関東軍司令部内部からは、特務機関長の
権限から逸脱した言動だとの批判があがったが、懲罰までには至らなかった。
ユダヤ人迫害は人種平等の国是に反するという国家方針に沿ったものであったからであろう。


97 :日出づる処の名無し:04/04/12 23:21 ID:il6gd3+Y
昭和13(1938)年3月8日、ハルピン特務機関長・樋口少将のもとに重大事件のニュースがもたらされた。
満州国と国境を接したソ連領のオトポールに、ナチスのユダヤ人狩りからのがれてきた約二万人のユダヤ難民が、
吹雪の中で立往生している。これらのユダヤ人は、満州国に助けを求めるために、シべリア鉄道を貨車で
ゆられてきたのであるが、満州国が入国を拒否したため、難民は前へ進むこともできず、そうかといって
退くこともできない。食糧はすでにつき、飢餓と寒さのために、凍死者が続出した。彼らは満州国を経由して、
上海へ脱出しようとして、オトポールまでたどりついた所であった。
ハルピンのユダヤ人協会会長・カウフマン博士も飛んできて、樋口に同胞の窮状を訴えた。
しかし、満州国外務部(外務省)を飛び越えて、独断でユダヤ人を受け入れるのは、明らかな職務権限逸脱である。
もし満州国が入国を拒否する場合、彼らの進退は極めて重大と見るべきである。
ポーランドも、ロシアも彼らの通過を許している。然るに「五族協和」をモットーとする、「万民安居楽業」を
呼号する満州国の態度は不可思議千万であった。これは日本の圧迫によるか、ドイツの要求に基づくか、
はたまたそれは滿州国独自の見解でもあるのか。
樋口少将は満州国外交部ハルビン代表部とこの問題に関して種々協議し、これは人道上の問題であることに
意見一致を見たのであった。なぜ外務部は動かないのか。ユダヤ人問題で下手に動いて、ヒットラーから横やりでも
入ったら、関東軍からにらまれるからだろう。
「難民の件は決着した。受け入れの準備にかかって下さい」力強い樋口のことばに、カウフマン博士は歓喜した。
そして樋口はすぐに満鉄本社の松岡総裁を呼び出し、列車の交渉を始めた。しかしこの一件で樋口少将はドイツ政府と
日本外務省、陸軍省に睨まれる事になる。

98 :日出づる処の名無し:04/04/12 23:21 ID:il6gd3+Y
・・・・樋口のユダヤ難民保護に対して、案の定、ドイツから強硬な抗議が来た。リッべントロップ独外相は、
オットー駐日大使を通じて次のような抗議書を送ってきた。満州国にある貴国のある重要任務にあたる某ゼネラルは、
わがドイツの国策を批判するのみか、ドイツ国家および、ヒトラー総統の計画と理想を、妨害する行為におよんだのである。
 かかる要人の行為は、盟邦の誓いもあらたな、日独共同の目的を侵害するばかりか、今後の友好関係に影響をおよぼす
こと甚大である。この要人についてすみゃかに、貴国における善処を希望している。
樋口は、関東軍司令部からの出頭命令を受け、参謀長・東条英機(後の首相)に対して「ドイツのユダヤ人迫害は人道上の
敵とも言うべき国策である、それに日本と満州が協力するのは由々しき問題である。日本とドイツの友好親善を望むが、
日本はドイツの属国ではない、また満州も日本の属国ではないと信じて満州国代表部に忠告した。」と述べた。
樋口は、東条の顔を正面から見据えて言った。
「東条参謀長!ヒトラーのおさき棒をかついで、弱い者いじめをすることを、正しいとお思いになりますか」
東条は、ぐっと返事につまり、天井を仰ぐしぐさをしてから、言った。
「樋口君、よく分かった。ちゃんと筋が通っている。私からも中央に対し、この問題は不問に付すように伝えておこう。」

99 :日出づる処の名無し:04/04/12 23:21 ID:il6gd3+Y
 樋口を待っていたのは、「不問」どころか、参謀本部第2部長への栄転だった。
ドイツからの「善処」要求のわずか5ヶ月後に、このような人事を行ったということは、
「人種平等を国是とする我が国はヒトラーのお先棒は担がない」という強烈なメッセージではなかったか。
出発の当日、駅頭は、二千人ちかい見送りの群集で、埋めつくされていた。その人波の中には、数十キロの奥地から、
わざわざ馬車をとばして駆けつけてきた開拓農夫の家族たちなどもまじっ
ていた。樋口が土地や住居の世話をしたユダヤ難民たちであった。樋口が駅頭に立つと、いっせいに万歳の声が
わきおこった。日の丸と満州国旗とをうちふり、「ゼネラル、ヒグチ!」と、ロ々に連呼しあう。
孫に手をひかれた白髪のユダヤの老婆は、路面にひざまずいて樋口を拝み、涙をながしつつけていた。 
待合室に入ると、カウフマン博士が、白系ロシア人の代表者ロザノフとともにやってきた。
ユダヤ人と白系ロシア人は、血なまぐさい暗闘を繰り返していたのだが、樋口が親睦のクラブまで作って、
仲介に努力していたのである。 ロザノフは、カウフマン博士の頬に長い接吻をし、巧みな日本語で言った。
これが閣下に対する餞別です。閣下の言葉を忘れず、これから仲良くやっていきます。
樋口が「あじあ」号の最後尾の展望台に立つと、列車は高らかに警笛を響かせて、ゆっくりと動き出した。
 「ヒグチ!」「ヒグチ!」「ヒグチ!」
群衆は堰を切ったように改札口を乗り越え、ホームにあふれ出した。あどけない顔をした少年達は銀髪を振り乱し、
両手を振り上げながら、あじあ号を追って走り続けた。

100 :日出づる処の名無し:04/04/12 23:22 ID:il6gd3+Y
・・・・・終戦後、ソ連極東軍は、札幌にいた樋口を「戦犯」に指名し、連合軍総司令部に引き渡しを要求が来た。
樋口の危機を聞いて、ニューヨークに総本部を持つ世界ユダヤ協会が動き出した。その幹部の中には、
オトポールで救われた人々もいた。「オトポールの恩を返すのは、いまをおいてない」世界各地に散らばっている
ユダヤ人に檄がとび、樋口救出運動が始まった。世界ユダヤ協会は、アメリカの国防総省を通じて働きかけ、
マッカーサー総司令部は、ソ連からの引き渡し要求を拒否し、逆に擁護することを通告したのである。 
長い歴史を通じて迫害を受けてきたユダヤ人は、それだけに他人から受けた恩義を簡単には忘れないのだろう。
ユダヤロビーの初期の活動の一つである。


 エルサレムの丘に高さ3m、厚さ1m、本を広げた形の黄金の碑が立っている。ユダヤ民族の幸福に
力をかした人々の恩を永久に讃えるために、と世界各国のユダヤ人が金貨や指輪などを送って鋳造したものである
 モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出したユダヤの偉人達にまじって、上から4番目に
「偉大なる人道主義者、樋口将軍」
とあり、その次に樋口の部下であった安江仙江大佐の名が刻まれている。樋口季一郎少将−約6千人のユダヤ人を
救ってイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を授けられたた外交官・杉原千畝領事代理とともに、日本人と
ユダヤ人との関係を語る上で、不可欠の人物である。エルサレムの丘に立つゴールデン・ブックに刻まれた
「偉大なる人道主義者樋口将軍」の銘はその証明である。

101 :日出づる処の名無し:04/04/12 23:23 ID:il6gd3+Y
長文コピペスマソ(;´Д`)

102 :日出づる処の名無し:04/04/13 02:25 ID:5HdjhnZF
>>101
乙!

103 :日出づる処の名無し:04/04/13 20:51 ID:T3Y9kLIK
昭和二十年八月二十日、日本軍の厳命を受けた真岡電信局(旧樺太)
に勤務する九人の乙女は青酸加里を渡され最後の交換台に向った。

ソ連軍上陸と同時に青酸加里をのみ、最後の力をふりしぼってキー
をたたき

・・・・皆さんさようなら、さようなら、これが最後です・・・・

の言葉を残し、夢多き若い命を自ら絶った。
殉職した九人の乙女
 高石ミキ(24)
 可香谷シゲ(23)
 吉田八重子(21)
 志賀晴代(22)
 渡辺照(17)
 高城淑子(19)
 松崎みどり(17)
 伊藤千枝(22)
 沢田キミ(18)

http://m-take-web.hp.infoseek.co.jp/fujinomiya6.html


104 :日出づる処の名無し:04/04/13 22:36 ID:mcDLg4Dp
ヽ(`Д´)ノ ウワァァン!!感動age!!


105 :日出づる処の名無し:04/04/13 22:45 ID:mcDLg4Dp
、「悲惨な戦争が終わり、五十七年の月日が流れました。
五十七年前、小笠原村のこの小さな島で、世界の歴史に残る日米両国の
激しい死闘が繰り返されたのであります。私たち小笠原村民は玉砕の島
「硫黄島」を決して忘れてはなりません。悲惨な戦いの果てに、私たちの
お父さんやご主人、ご兄弟、諸先輩は戦死されたのであります。
その無念は、この上なき痛恨の極みであったことでしょう。
本当にご苦労様でした。
今こそおいしいお水を沢山飲んでください。
あなたたちの犠牲の上に今の日本の平和、小笠原村の平和があるのです。
本当に有り難うございました。」

平成15年6月21日 硫黄島戦没者追悼慰霊祭式典にて

小笠原在住旧硫黄島民、硫黄島協会 宮川章会長

106 :日出づる処の名無し:04/04/13 22:57 ID:mcDLg4Dp
 ひいおじいさんへささげる言葉
小学校六年 間庭 恵美

 こんにちは、私は曾孫の恵美と言います。
 一度会ってみたいなどと思ってももうおそい、ひいおじいさんはすでに戦争で
 亡くなられておりました。
 私がひいおじいさんを知ったのは、お寺に行ったときでした。
 ひいおじいさんの話をいろいろ聞きました。
 ひいおじいさん、私は戦争は知りませんが、戦争を想像することはできます。
 私の戦争想像を聞いてください。
 私の想像は、とても恐ろしいものでした、そして悲しいものでもありました。
 戦争だからといって、妻や子供と別れていかなくてはならないのです。
 戦争が激しくなるにつれて、人々は死んで行くのです、死ぬということはとっても恐ろしいこと、
 それだけではなく悲しいのです、今の時代は鉄砲を持ってむやみに人を殺す、それは悲しいだけ、
 悔しいだけ、けど戦争は違う、悲しみ、悔しさ、それだけではない。
 苦しさ、つらさ、そして憎しみをもっている人もいると思う。
 死ぬとき、どんな思いで死ぬのか、多分家族や村の人達などを思い出すのではないでしょうか。
 子供は、父の顔を知らないのですか、父の姿を想像するでしょうね、父はいっしょうけんめいに
 戦ったのですから悔いはないと思います。
 けど、家族の夢など見るかもしれませんね、楽しく子供と遊んでいる夢など見て笑いながら天国へ
 いくのでしょうね。
 みんなが待っている家に帰りたかったでしょうね、残念ですね。
 ここで、お願いがあります。
 ひいおじいさん、そして天国にいる方達へ、地上にいる人達を見守っていてください。
 殺し合いなどないように、戦争なんて馬鹿なこと、二度とないように、そして自分のひいまご達を
 しっかりと見守っていて下さい。


107 :日出づる処の名無し:04/04/13 22:59 ID:mcDLg4Dp
 私は、もういらっしゃらない、ひいおじいさんを思い出すと本当に長い間おつかれさまって言いたくなります。
 ひいおじいさんが、一生懸命戦ってくれたからこそ、いま私たちも、こんな素晴らしい暮らしが出来るのです。
 もし、戦っていなかったらなんて想像したくありません。
 私はこの作文を書いていたときに、今にもひいおじいさんがあらわれて、私にやさしく笑顔で声をかけてくれる、
 そんな感じがします。本当に生きていればどんなにうれしかったことか。
 ひいおじいさん、そしてそのほかの皆さん、本当にお疲れさまでした、本当に本当にお疲れさま。
 そして、ありがとうございます、心の奥からありがとうございました。
 ゆっくり天国で休んで下さい。
 そして、私たちのことを忘れないでください。
 ありがとうございます。
 この作文を書いて、そして読んでいると涙が止まりません、つぎからつぎへと涙が出てきます、この涙は
 どんな涙だろう、くやしい、悲しい、うれしい、それとも感謝の涙なのかも知れない。
 私は、このテニアンにこられて本当によかったと思います。
 また来られたら、お線香をあげたいと思います、こんどは、家族全員で。さようなら、

                                 一九九二年八月

 この文章は故テニアン ウ三〇二航空隊上等水兵 間庭 弘「ひいおじいさんへささげる言葉」として
 一九九二年八月にテニアン島バンザイ岬の慰霊碑の前にて間庭恵美様が作文風に書いて当日暑い中
 読み上げたものにて立ち会った慰霊団全員と在テニアン日系人とチモロの方々が感心し良き日本の
 子供の代表宜しく思い皆で顔見合わせたものです。

108 :コヴァ:04/04/14 00:20 ID:A/vpBIxl
約半世紀ぶりにニューギニアの戦場を訪れた高射砲兵。
かつて自分の属した部隊が戦った陣地には、赤錆びた高射砲が、依然として空に向かって砲身を伸ばしていた。
それを認めた瞬間、老人は砲に抱きつき、「一緒に帰ろう!靖国に、皆のところに行こう」と叫んだ。
そして、その言葉は現実になった。

109 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

110 :日出づる処の名無し:04/04/14 01:10 ID:d5eBdRau
今年初め、新車を購入するため、6年間乗ったマーチを手放すことになった時、
 小1だった長男は声をあげて泣きました。長男は妹と一緒にマーチの中に
 「マーチへ。いままでいろんなところにつれていってくれてありがとう。
 これからもげんきでね」
 と書いた手紙をしのばせ、マーチとお別れしました。

 それから9ヶ月余りが過ぎた先日、郵便受けに「マーチより」と書かれた
 長男と妹あての手紙が届きました。その手紙には
 今マーチは新しいオーナーの赤ちゃんを乗せて毎日元気に走っていること、
 その赤ちゃんが手紙をくれた2人のように優しい子になってほしいということが
 書かれていました。


111 :日出づる処の名無し:04/04/14 01:12 ID:d5eBdRau
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・

病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。


112 :日出づる処の名無し:04/04/14 01:14 ID:d5eBdRau
俺には、3つ違いの弟がいた。お袋は俺には「お兄ちゃんだから我慢しなさい」なんて一言も言わなかったと思う。
でも、甘えるの我慢してた記憶はたくさんある。3歳ながらに「弟はまだ赤ちゃんなんだから」っておもってたんだよなぁ。
親父は出張が多くてほとんど家にはいなかったな。
俺が小学生なって初めての運動会の朝、お袋は「○○君(俺)がんばってね!お母さん、△△(弟)とお弁当持って見に行くからね!」って
送り出してくれた。

それが、最後の言葉だった。

お袋は自転車の後ろに弟を乗せ、カゴには俺の大好きなものばかり詰まった弁当を乗せて、俺の初めての運動会を見に行く途中
信号無視したトラックにはねられた・・・。
小1の頃の記憶は、ほとんどない。

「お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。」
もっともっと、甘えればよかった。
弟が乳を飲んでいる時にも、「もう片方のひざはぼくのモノ〜」って甘えればよかった。
もっともっと甘えたかった・・・。

今日の午前2時55分、俺は親父になりました。
ちゃねらー歴はずいぶんだが、初めて来た育児版でふと目に止まったこのスレ。

俺は、嫁と娘を全力で一生守ります。誓います。
お母さん、けんじ、どうか天国で見守っていてください。


113 :日出づる処の名無し:04/04/15 22:54 ID:GKoj6L5F
「死にざまを見せてやる」伊外相、人質の最期を詳述

フランス公共ラジオによると、イタリアのフラティニ外相は15日、
イラクで「カタイバ・ムジャヒディン(戦士大隊)」と名乗るグループに拉致、
殺害されたファブリッツィオ・クアトロキさんの最期の様子を明らかにした。

外相によると、クアトロキさんは短銃を突きつけられると、
頭にかぶせられた袋を外そうとし「イタリア人の死にざまを見せてやる」と叫んだという。

カタールの衛星テレビ、アルジャジーラに届けられた映像に基づく情報とみられる。

また外相は同日、国営テレビで、残る3人の人質を解放させることは極めて難しいとの認識を示した。

http://www.sankei.co.jp/news/040415/kok096.htm



侍に国境無し・・・・゚・(ノд`)・゚・。

114 :日出づる処の名無し:04/04/16 00:10 ID:A9csbX+T
小中高、歴史教育の体験 2時間目
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/asia/1076668881/
より


218 名前: マレーの虎猫 投稿日: 04/02/21 01:00 ID:+yKITbmt
俺の爺さんは支那で野営中にゲリラの襲撃を受け殺されたらしい。

結婚式を済ませると同時に出征。新妻だった婆さんやまだ生まれていないお袋
への思いを綴った手紙が残っている。
戦死したと思われる時間に爺さんの魂が家に戻って来た時の話を婆さんは良く
聞かせてくれる。
真っ白な軍服を来た爺さんが、音もなくスゥっと引き戸を開けて家の中に入っ
て来て労る様な優しい眼差しで、身重の婆さんを見つめていた。
何か言いたそうな雰囲気だったので、婆さんが話しかけると悲しそうな表情と
なり仏壇の中に入っていったそうな。
戦死公報が届いたのはその数日後。爺さんは何を言いたかったのだろうか?

新妻とまだ見ぬ子を残して立たねばならなかった爺さんの胸中を思うと、泣け
てくる。

115 :日出づる処の名無し:04/04/16 23:13 ID:AthK7EDF
皆様、マラッカ海峡ってご存知でしょうか?
世界銃にいくつかある国際海峡の一つです。場所はご自分で地図で調べてください。
だいたい、シンガポールからオーストラリアのポートダーウィンに向かって
視線を走らせれば、確実に見つけられると思います。

ここ、国際海峡なため各国の船の通過が自由です。しかも回りの国は政情不安。
ですから、今の時代なのにやたらと海賊船が出没する事で有名です。

その、いまどき珍しい日本船籍の貨物船も運悪く海賊に目を付けられてしまったのです。
気がついたときにはそうとう近づかれてしまっており、もう引き離せません。
無線室が運良く近くを航海中の何処かの国の軍艦と交信でき、
助けを呼ぶ事だけは出来たのですがもはやどうやっても間に合わない、そんな状況でした。
取り敢えず、日本人船員達と外国人船員達があまり効果は無いとはいえ、
何もしないよりはマシと船の後部甲板から高圧の放水を行い、
海賊船を引き離そうとしますが、そこは向こうも慣れた者、やっぱり上手く行きません。
遂に乗り移られるか、と思ったその時、突然海上に威嚇射撃の砲声が響き渡りました。
同時に、海賊船の後方から物凄いスピードで何処かの軍艦が走ってきます。
当然の事ながら海賊線はその場で遁走、貨物船は無事に済みました。

件の黒い船は、見事な操船で貨物船の横から等距離にならぶと、
(偉く古臭いデザインの軍艦だったそうです)
サーチライトを使った和文モールスで「無事か?」と聞いてきました。
無論、助けてもらったおかげで被害は一切有りません。
「無事だ」と返信すると、艦橋の上にいた人間が敬礼してきました。
貨物船の艦長、取り敢えず敬礼を返しますが何か変だと言う気分が抜けません。
その船はあっという間に加速すると貨物船を追い越していきました。
………船尾に旧帝国海軍の軍艦旗である旭日旗をはためかせながら。

何処かの国の軍艦の悪戯だったのでしょうか?それとも………。
でも、前の戦争の英霊達が見るに見かねて助けてくれたと信じたい気がします。

116 :日出づる処の名無し:04/04/17 18:49 ID:VoPFFzK3
>>113
。゚・(ノД`)人(´Д`)人(Д` )・゚。

・・・・しかし先の大戦でもその気合を見せて欲しかったでつ

117 :日出づる処の名無し:04/04/20 23:21 ID:tX4UMVEy
・゚・(つД`)・゚・スレが伸びないけど保守

118 : :04/04/24 14:25 ID:WtL3fi0y
保守させて頂きます。

119 :日出づる処の名無し:04/04/26 20:48 ID:wWjFG2io

やべー、泣いちゃったよ



120 :日出づる処の名無し:04/04/26 21:21 ID:RQ7FwmD0
このスレいいねぇ。・゚・(ノД`)・゚・。

121 :日出づる処の名無し:04/04/26 21:43 ID:AMIM9+ZS
>>115

・゚・(つД`)・゚・

122 :日出づる処の名無し:04/04/26 21:53 ID:NBmXhw3w
兄が玉砕したと聞いた時の驚きと悲しみは、私の全身の血を停止させ、足腰の力が急に抜けてしまった
老いた父母になんと報告すべきか? その悲嘆を想像するだけで私は動転した
あの頑健な兄が戦死するとは・・・・・ 神仏すら軽蔑したくなる内面の空虚な痛手
これは二百八十万の遺族だけが体験した無残非情な、終生忘れることの出来ない深い心の苦悩であった

父は兄に家業を継がせようと手塩にかけて愛育した
落胆は余りに大きく、急に物言わぬ人に変わった 母は人陰に隠れて泣く事が続いた
その年の夏
「陸軍伍長井上総一 昭和19年12月31日、ぺリリュー島○○地点において戦死確認」の公報が届いた
巷間で噂される通りの一枚の紙片であった 遺骨も無く、誰が末期の水を取ってくれたのやら、遺言があったのか
形見の品は遺されていたのか 何でもよい、最期の模様が知りたいのが肉親である 
やはり戦死した場所を見て、遺骨を拾ってみなければ諦めきれないのだ

戦死の公報受領後、旬日にして芝の増上寺において遺骨の引渡しを受けた
白木の箱に納められた兄の変わり果てた姿を見た父は、嗚咽しながら
「ご苦労さん!お帰り・・・」と白木の箱を撫でた 生きて帰った息子の肩を撫でるように・・・・


私は翌日、白木の箱をそっと開けてみた 中にはお粗末な位牌が入れてあった
「ぺリリュー島血風録」より

123 :日出づる処の名無し:04/04/26 22:22 ID:MVd9trQX
>>122
>>神仏すら軽蔑したくなる内面の空虚な痛手
「夏子の酒」という酒造メーカーの漫画の番外編に「奈津の蔵」という
主人公のお祖母さんが若い時の話があるんだけど、酒造りに情熱を
傾けた夫が出生して戦死、その夫が残して言った娘も麻疹に罹り
病院にいったけど(空襲のせいで)治療が間に合わなくて病死して
しまう。
そして戦争が終わったあと蔵の中で神棚の松尾様(酒造りの神様)を
「夫を助けられなかった情けない神だ」と罵るシーンを思い出した。
(その後、我に返って詫びるのだが)

124 :日出づる処の名無し:04/04/27 00:02 ID:FyNpySrN
627 :名無し三等兵 :04/04/21 20:40 ID:???
>>584
昭和20年7月編成 うちの町の国民義勇隊装備兵器(武装解除記録より)
・30年式 村田式各種教練銃
・ピストル各種(隊員私物)
・スナイドル銃
・エンフィールド(エンピール)銃
・シャスポー銃
・各種火縄銃
・日本刀 槍類
・竹槍
・各種手榴弾 火炎弾(手製含む)

・・・日本は最終的に戊辰戦争の頃まで退化していたようで
つーか、弾薬はどうするつもりだったんだろ?





別の意味で泣けてくるよ・・・・

125 :日出づる処の名無し:04/04/27 01:35 ID:TrbWvhfe
ウヨの、ウヨによる、ウヨのためのスレッド。
糞スレだな。

126 :日出づる処の名無し:04/04/27 03:03 ID:irEcdY69
>>125

虫除けのお約束だが、

お前のいう「ウヨ」とやらの定義を語ってみそ?



127 :日出づる処の名無し:04/04/27 03:16 ID:jJHjBOj1
ウヨ虫どもが必死にマスをかいてる駄スレはここでつか?

128 :日出づる処の名無し:04/04/27 03:25 ID:2APlOUif
引き続き、泣ける話をどうぞ。

129 :日出づる処の名無し:04/04/27 13:17 ID:IxAYQwC/
バカサヨは2ちゃんで現実逃避

130 :日出づる処の名無し:04/04/27 19:20 ID:oqDpneyn
良スレ

131 :日出づる処の名無し:04/04/27 19:31 ID:5dC1UCz4
俺の「ウヨク」定義

ネットでしか発言せず、行動に移せない
犯罪者は兎に角在日、そのソースすら出せない・・・誰か見せてよ。・゚・(ノД`)・゚・
懐古主義、日本美化、脳内は未だにバブル最盛期、現代日本が抱えている問題を殆ど語らない
左翼=売国奴だと思ってる
731、南京は確証も無いのに無かった
朝鮮半島の歴史をろくに知らないくせに、半島を馬鹿にする

まともな人も居るがな

132 :日出づる処の名無し:04/04/27 19:58 ID:CKg4bJYf
>>131

ほとんど右翼思想と関係ない項目に思えるのだが?


133 :日出づる処の名無し:04/04/27 20:01 ID:iu2fPKVZ
>>131
なんつーか、批判したりするのは個人の自由だが、
そのための基礎素養というか教養というか、
そういうものが欠如してると、それは単なる煽りですぞ。
見ていて見苦しい。


134 :日出づる処の名無し:04/04/27 20:23 ID:odaga8KW
南洋のパラオ共和国。
古くから親日国として知られ、国旗は日の丸をモチーフにしたものを
使っているほどである。ただし「白黒にすると本家、日の丸と区別がつかない」
という実に遠慮深い理由により、円は少し中央を外れているが。
島嶼国家ということもあり、この国には真珠のような美しい島がいくつもある。
そんな島々にも戦争中はご多分に漏れず日本軍が進駐していた。
その島に進駐していた海軍の陸戦隊は学徒出身の隊長のもと、住民たちとの
摩擦を避け、作業に住人を駆り出す時も必ず代価を払い、よき隣人として
和気藹々たる戦地生活を送っていた。
中でも住人たちに喜ばれたのは音楽の心得のある兵隊による唱歌の演奏で、
そのうち、島の人々も「ふるさと」「さくら」などの曲を歌えるまでになった。
しかし戦況は刻々と日本に不利な情勢となっていき、この島にも米軍の襲来が
避けられない情勢へと変っていった。
島の若者達は相談して、ある夜、日本軍の守備隊長を訪ねた。どうか我々も仲間として
あなたたちと一緒に戦わせて欲しいという志願のためだった。
その話を聞いた隊長は日頃の温顔もどこへやら、みるみる内に怒色を満面に浮かべ
机を蹴り倒して吐き捨てるように言った。
「我ら帝国海軍の軍人が、貴様ら如き未開の土人どもと共に戦えるか!
貴様らなど戦の邪魔だ。3日の猶予を与える。パラオ本島に出て失せろ!」
あれほど日本人は東洋融和の仲間だと言っていたのに見せかけだったのか・・
島の人々は悔し涙を流した。
いよいよ島を去る日、桟橋にとぼとぼと集まった住民。当然ながら兵隊たちは
誰も見送りになど来ない。
悄然と船に乗り込み、船が陸地を離れたそのとき、どこからともなく砂浜に
たくさんの日本兵達が現れた。
「ウサギ追いしかの山!小鮒釣りしかの川!」と歌いながら千切れるほどに戦闘帽を
振る水兵達。そしてその先頭にはあの守備隊長が。満面の笑みで歌いながら帽子を
振っていた。
島の人々はその時に気づいた。あの夜の言葉は自分達を生かすためのものだったのだと。

2週間後、米軍の海兵隊は周辺地域に殺到。224名の日本軍は全滅した。

135 :日出づる処の名無し:04/04/27 20:27 ID:lSgCy7Ej
>>132
だから「ウヨク」と書いてるんだよ

>>133
では具体的に挙げて頂こう

136 :陸奥 ◆Mutsu.Oznc :04/04/27 20:34 ID:znONvInq
>>135
よそでやれ。



以下スルーでお願いしまつ

137 :日出づる処の名無し:04/04/27 20:43 ID:UF4sZiSR
 どれも泣けるが、>>110がいちばん泣ける。
ちょっと気恥ずかしい・゚・(つД`)・゚・。

138 :日出づる処の名無し:04/04/27 21:04 ID:1BqrAa8/
>>134
くそ、涙が出ちゃったじゃないかよ・・・。

139 :日出づる処の名無し:04/04/27 22:12 ID:ZpidPcBX
>137
どれも感涙ものだけど、アテクシも「マーチより」に・゚・(ノД`)・゚・。
一番身近な話だからだね。



140 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

141 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

142 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

143 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

144 :日出づる処の名無し:04/04/27 23:51 ID:8v6qGhy/
>TrbWvhfe
よそでやれよ、朝鮮人。


145 :日出づる処の名無し:04/04/28 03:20 ID:lcfpVxMF


146 :日出づる処の名無し:04/04/28 15:07 ID:6000FZwZ
>>110が泣ける???
ほのぼのとしたいい話だけど。。

147 :日出づる処の名無し:04/04/29 00:25 ID:kwivJMJ3
泣ける話ではないかもしれないが、カキコ御免。

昭和30年5月、ソ連のハバロフスク強制労働収容所へ連行され、強制労働させられて
いた日本人捕虜達のところに、社会党の野溝某代議士他5名が訪れ、代議士らは彼らに
 「諸君らの帰還について、できる限りのことをする。」
と話をした。
  それを聞いた日本人捕虜達は 

「我々は、帰りたいのは山々だが、北方領土と我々の帰還を交換条件にするような
 ことだけは、断じてしてくれるな。」

と頼んだという。
 
 「たとえ身は異国の土になろうとも、不正に寸土も奪われてはならない」

 これが敗れたりとはいえ、日本人捕虜達の共通の願いであったそうです。



 漢たちの意思を無にしてはならない。
 竹島しかり、尖閣諸島しかり…。

148 :日出づる処の名無し:04/04/29 01:03 ID:dtZkERCU
>>417

イラクの三馬鹿(+二人)とはえらい違いですね・・・。


149 :日出づる処の名無し:04/04/29 01:42 ID:P7xfBbHD
《祖国の為に戦った者の最後の言葉》

「この世に生を享けてからの慈しみは、どんなに感謝してもしすぎることはありません。
その御恩に報いようとする途中、こういう最後となり、先立たねばならなくなったことを
許してください。しかし僕は必ず霊魂となって日本へ帰ります。懐かしい故郷へ、
あなた方のもとへ、きっと帰らずにはおきません。帰ったら、あなたがたや兄・妹たちを
見守り、一所懸命に幸せに導いてあげることができるでしょう。
われわれは立派に戦いました。私は皇国のために日本人の栄光と名誉のために、
軍人としての道を正しく遂行しました。どうぞ御安心ください。私の死
を悲しまないでください。長生きしてください。−略−

最後に私は「天皇陛下万歳」とつけ加えた。この六文字は祀られるための門鑑とも
いえただろうし、自分は戦死するんだ自分に言い聞かせることばでもあった」

「ペリリュー島の収容所を離れ、舟艇に乗せられて港を出た時のことを私は忘れない。
はるか去りゆく海上にポツンと見える玉砕の島アンガウル。そこに多くの戦死した戦友を
憶い、敵上陸から単身斬り込みにいたるまでの経過をまざまざと思い浮かべた。
飢渇に悶えながら壮烈な死を遂げた戦友たちに、『必ずもう一度帰ってくる』と約束したのも
この時である。同時に、国を守るために死を賭して戦った彼等の心情と、その最後を故国の
人に伝えさせるべく、彼等はその報告者として私を生かしてくれたのだと感じた。自決した者、
殺してくれと哀願した者、自ら戦車の下に跳び込んだ者、・・・・・・彼等は決して一片の
『司令官の感謝状』のために死んでいったのではない。みな故郷を想い、両親・家族の
安全を願って、敢えて死んでいったのである。



150 :日出づる処の名無し:04/04/29 01:42 ID:P7xfBbHD
繰り返して言おう。戦後、過去の戦争を批難し、軍部の横暴を痛憤し、軍隊生活の
非人道性を暴き、戦死した者は犬死であるかのようにいう論や物語がしきりに出された。
わたしはこの風潮をみながら、心中こみあげてくる怒りをじっと堪えてきた。

やっと今、この記録をだすことができるに当って、私は心の底から訴えたい。
戦死した英霊は決して犬死をしたのではない。純情一途な農村出身の多いわが
アンガウル守備隊のごときは真に故国に殉じるその気持ちに嘘はなかった。
彼らは、青春の花を開かせることもなく、穢れのない心と身体を祖国に捧げ、『われわれのこの
死を平和の礎として、日本よ家族よ、幸せであってくれ』と願いながら逝ったのである。
徒らに軍隊を批判し、戦争を非難する者は、『平和の価値』を知らない人である」

船坂弘著「玉砕の島アンガウル島

151 :日出づる処の名無し:04/04/29 20:45 ID:74/Bc2+j
>>147
かっこよすぎ。ていうか普通?

今のJAPANがおかしい

152 :日出づる処の名無し:04/04/29 20:53 ID:pasTVwK8
>>151
普通か?
お前、自分が今死ねば竹島返してやるって言われたら死ぬか?

153 :日出づる処の名無し:04/04/29 21:03 ID:WEdzXzYC
>>152
その比喩は変。
死と引き換えにした訳じゃないし。

154 :日出づる処の名無し:04/04/29 21:08 ID:pasTVwK8
>>153
じゃあ、シベリアで15年くらい強制労働したら返してやるって言われたら行く?
死ぬかもしれないし、帰ってこられるかもしれない。
まあ、70%くらいは死ぬとしたら行く?

155 :日出づる処の名無し:04/04/29 21:17 ID:rblL+Hkb
>>154
その喩えも変。
土地の代わりに命 じゃなくて、
命の代わりに土地 の例にしないとな。

156 :日出づる処の名無し:04/04/29 21:18 ID:bPhvjlSC
>>154
素晴らしい個人主義の持ち主のようですね(プ

157 :151:04/04/29 22:43 ID:74/Bc2+j
>>152
捕虜だったら同じ事を言いたい。
同じ境遇にならないと気安い事は言えないが
こう言うべきだと思う。

158 :日出づる処の名無し:04/04/30 01:04 ID:jdmpy2ka
叱咤されたID:lSgCy7Ejが140から143まで
●を書きまくって暴れたものの、あぼーん処理されてしまったと知った時の
八つ当たりは、一体誰にしたんだろうか、と興味津々な現在。

159 :日出づる処の名無し:04/04/30 01:10 ID:9uUfUSwI
火病ではないかと思われ。

160 :名無し:04/04/30 02:51 ID:OMXeUYCg
>>103
俺、稚内にある碑を見たので、この話自体は知ってたんだが、先日靖国の遊就館に初めて
行って、彼女らが軍属として祭られてるのを見て驚いたよ。



161 :日出づる処の名無し:04/04/30 03:41 ID:RBBuTXNr
遊就館へ行って驚いたのは、若い娘さんが一人で展示物を丹念に
見ていたこと。
逆に朝鮮風の若者が団体でガヤガヤ通り過ぎていったのには閉口した。

162 :日出づる処の名無し:04/04/30 03:43 ID:RBBuTXNr
宜しかったら、こんなスレもどうぞ

☆台湾で出会った、忘れれない人☆第二幕
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/1079358970/

163 :160:04/04/30 04:09 ID:OMXeUYCg
>>161
俺が行った時は、年齢的に昭和1桁後半生まれと思われる、7、8人の団体が酷かった。
隣の展示室にいる連れを大声で呼んだりして、もう周囲で静かに見ている人からは大顰蹙
を買ってたのに、本人らは我関せず状態・・・。

また、旦那が奥さん説明するんだけど、これがまた滅茶苦茶。いくら戦争経験者とはいえ
終戦当時の子供なんて、戦後生まれよりも知らない事が多いんじゃないかと思ったりする。



164 :日出づる処の名無し:04/04/30 11:06 ID:zz3xj2gB
>163
終戦当時子どもだった人は、子どもなりに「戦争」を知っているだけで
それは仕方ないと思う。

ただ、そういう人たちは「戦時下の悲惨さ」をよく知っている。
ご飯が食べられなくてひもじかったこと、空襲が恐かったこと、学校での
勉強はどんなだったかなどなど…

私は残念ながら遊就館には行ったことがありませんので、展示室にどのような
ものが展示されているのか知りませんけど、恐らくそこでは見られない、語られ
ないことを教えてくれるのが終戦当時子どもだった人たちだと思います。


まあ見学する態度がなってないのはいただけませんが。
スレ違いスマソ


165 :日出づる処の名無し:04/04/30 17:29 ID:5UK9bmTE
昭和1桁後半生まれというと


モロにバブル期におっさんおばはんだった世代
ウルサイのはまあ、どうしようもねえな

166 :日出づる処の名無し:04/04/30 19:25 ID:MINmYGe+
>>165
食わせてくれなかった、着飾らせてくれなかった、恋愛させてくれなかった、進学させてくれなかった、

と、ありとあらゆることに不平不満タラタラ。せめて我が子には、と甘やかすだけ甘やかし、バカ餓鬼を
量産した。その餓鬼が所帯持つとなると、アイカタに対して「私の若い頃はそんなこと」とグチグチ垂れる。

ほぼ、人生錯乱状態の「くれない族」

ヒトケタの餓鬼で、祖父母が身近に居なかった奴は、マジで可愛そうだと思う。


167 :日出づる処の名無し:04/04/30 19:46 ID:uDh26N19
>>166

俺の両親はちょうどその世代だが、田舎のせいか
そんなことはなかったなぁ。

学校で教師に殴り飛ばされ、その後教師の連絡によって
親に殴られるという厨房時代だったが(w

親も教師に「悪さしたら遠慮なくビシビシやってください」と
言っていたくらいだし。
教師に殴られたなんぞ親知られたらその倍は親に殴られた。

体罰とかが問題視されるようになったのはもっと後の世代だと
思っているんだが、これは田舎という事情があるかも知れん。


168 :日出づる処の名無し:04/04/30 22:42 ID:hsURawwU
雑談スレ化してんぞー

169 :日出づる処の名無し:04/05/01 12:05 ID:vQ2K3c0o
    /⌒ヽ
  /。゚´Д`゚)゚。
  |    / すいません、なきながらとうりますよ
  | /| |
  // | |  
 U  .U

170 :日出づる処の名無し:04/05/02 10:38 ID:Z5qQp1E7
187 名前:_ 投稿日:02/01/18 09:27 ID:sT4W+oO/
98仏W杯のクロアチア戦だったと思うが、日本の予選敗退が決まった時、

勝利に喜ぶクロアチアのサポーターに対して、日本のサポーターから
「決勝リーグ進出おめでとう。同じリーグを戦った戦友として、
 日本は、クロアチアの今後の健闘を祈ります」

というような英語の横断幕が張られた。
そして、日本側から
「クロアチア・ちゃちゃちゃ クロアチア・ちゃちゃちゃ (拍手)」
というエールが送られた。
期せずして、クロアチア側からも
「ニッポン・ちゃちゃちゃ ニッポン・ちゃちゃちゃ(会場全体が大拍手)」
という状況になった。

自分は当時も今もヨーロッパ在住の身で、ユーロスポーツTV(英語版)で
観戦していたんだが、司会者とコメンテーターが、

「何と感動的なシーンなのでしょうか。長年W杯を観戦していますが、試合後に
 これほど胸がいっぱいになったのは初めてです!」

「本当にその通りです。試合後に両チームの健闘を称えあう、これこそが、
 W杯が目指しているもののハズです。なんて素晴らしい・・・(嗚咽)」

自分もその言葉に泣きました。イタリアやドイツにはクロアチアからの
移民が結構すんでいるんだけども、今だにこのことを覚えてくれている人もいる。

この日本人の潔さというか、清々しさを愛してくれているのは、ポーランド人
だけではないよ。

171 :日出づる処の名無し:04/05/02 10:51 ID:Z5qQp1E7
281 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2000/11/18(土) 02:47
275とは違うが2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな
気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
   寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
   夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
   私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
   あんたらにわかるか?
   消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
   でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のま
ま敬礼していた。

172 :日出づる処の名無し:04/05/02 16:13 ID:ICJ7/cvX
初見だが>>170いいねぇ・・・・・。
どこぞの腐れ半島ミンジョクとは出来が違うわ、やっぱ。


173 :日出づる処の名無し:04/05/03 05:24 ID:2cQy9HqJ
帰還船はサルミ沖に停泊して汽笛を鳴らした。夢にまでみていた汽笛を聞いて
これは夢ではない、本当であると確認すると、うれしさが体中をかけめぐった。
昭和21年6月4日午前8時。三年間住み慣れた八紘山南麓に決別した。
なだらかな坂をゆっくり下りて、手塩にかけた緑の農場に立つと何十万本と
数知れない芋が私を見つめてほほえんでいるように見える。
「ありがとう。君たちのおかげで、生きて日本に帰れる。ほんとうに有難う」
私は深々と農場の芋に最敬礼した。
悲喜こもごもの心境で海岸に出ると、帰還者はサルミ埠頭へ黙々と前進している。
着のみ着のままの兵隊の脛は細くやせこけて見えるが歩む足どりには力があった。
爆弾で折れた椰子の根本で、今死んだばかりの兵隊がいた。戦友は手で砂を
浅く掘り、横たえた死体に砂をかけている。
「今乗船というのに死ぬ奴があるか。穴掘って埋めるにも今どうにもならないよ。
砂の上でがまんしてよな」戦友の声は悲痛である。今日の日まで戦友同志は同体の
気持ちで生きようとしている。頭はまさにマラリヤでやられていたが、魂は日本に
帰っていると思った。私も静かに合掌した。
検査場に入る前、集まった師団将校は二列横隊に整列して、師団長の決別の挨拶を
受けた。
「・・・戦いが敗れたりと云えども、幸いにして諸官を送還出来ることを喜ぶ。
今後に於いて、日本復興のため生命を捧げてほしい。余は全責任を負ってここに残る。
幾万の死んだ戦友と共に、はるか南溟より諸官の活躍を祈ってやまない。諸官、さらば」
田上師団長、今田参謀長、国分経理勤務部長らは、指定の戦犯要員収容所へ静かに
歩み去って行く。涙でかすんだ私の眼は、その後姿を彼方に消えるまで追っていた。
富谷太一著「ニューギニア最後の死闘」から

174 :日出づる処の名無し:04/05/04 02:54 ID:9mRuunA0
この良スレ、あげちゃまずいの?

175 :日出づる処の名無し:04/05/04 09:46 ID:eeoCJi/L
まずいよ。あげると左巻きから下らない中傷を受けるから、
折角の良スレがあれる。

176 :日出づる処の名無し:04/05/04 13:52 ID:3LPUc6mr
>>173
切ない・・・・・・゚・(つД`)・゚・

177 :日出づる処の名無し:04/05/04 17:56 ID:ncej8Wzf
>>170
たしかwcup98では日本がサポーター賞もらったはず。
シュケルが得点王だったから、かなり記憶に残ってる。

178 :日出づる処の名無し:04/05/04 19:49 ID:ThFpDyxf
アッツ島の山崎部隊玉砕後、北の防衛第一線となったのは千島の最北端、占守(シュムシュ)島と
幌莚(パラムシュル)島には民間人の男女工員1200名がいた。

その占守の国端岬にソ連の歩兵部隊が上陸を開始したのは終戦日後の8月18日未明であった。15日の
玉音放送で、敗戦を知りがっかりもしたが、(玉砕せずに帰れるか)とほっとしたとたんに18日の未明
の上陸である。
 幌莚島の司令部では降伏が決まっての後のソ連軍上陸だから、最初は司令部の意見も和戦両様に
分かれていた。しかし、占守島には女子を含む1200名の非戦闘員がいる。降伏となれば、この女子ら
に対して、敵兵の暴行が行われることは目にみえていた。これをどうするかとなった時、司令官堤中将の

「兵を千日養うは、一刻の非常に役せんがためで、非戦闘員を保護するのが軍の責任である。」

の一言で、すべてが決まった。
 たちまち降伏論はふっとんで「ソ連軍を撃退せよ」の師団作戦命令が全軍にとぶ。占守島中部
丘陵地帯に布陣した野戦重砲部隊は、敵橋頭堡に砲弾を浴びせ、米軍上陸に備えて、島中央部の
洞窟内に隠れていた軽戦車は国端岬へ進撃を開始。司令部も、戦闘指揮所を占守島中央部台地に
進めた。日本軍の猛攻に、重戦車、重火気をもつソ連軍も攻めあぐみ、上陸第一夜は国端岬の
海岸線に圧縮され、海中に追い落とされそうにすらなった。
 明くる19日、彼我千名を超える戦死傷に、戦闘はますます惨烈となった。突然、戦闘停止命令
が出たのはその午後。「赤軍と関東軍の間に停戦協定が成立した。北千島部隊も停戦せよ。」と
と中央からの指令があったのも事実だが、より以上に大きな理由は。前夜に片岡湾にあったあらゆる
船をかき集めて、1200名の非戦闘員を載せて、北海道根室に出発させたからであった。
 非戦闘員保護の使命を、完全に果たしたからである。
   続く

179 :日出づる処の名無し:04/05/04 19:50 ID:ThFpDyxf
   続き
「国端岬と片岡湾は、直線距離で20キロ余。敵艦隊は、島の中央部にも砲撃を加えているものか、
 いんいんたる砲声が聞こえていました。私たちは、闇の片岡桟橋に整列し、その中には、学徒動員
 の女子挺身隊員もいて、ハンケチを顔にあてて泣いています。船は11隻よりなく、私たちをのせて
 出してしまえば、兵隊さんは玉砕より道がないのですが、それなのに、まだおさな顔の残る
 水兵さんは、きりりと鉢巻をひきしめ、我々の間を駆け回って引き揚げの世話をしてくれました。
 私は日本人に生まれた幸福を、この時ほど深く感じたことはありません。(この人たちは、
 自らの命を捨てて、私たちを守ってくれるのだ)そう思うだけで、泣けてきましたた。やがて
 我々が乗船すると、兵隊さんは桟橋に整列して、いっせいに『ご無事で』と叫び、挙手の礼で
 見送ってくれました。舟が桟橋をはなれて、その姿が消えかけたとたん、だれが歌いだしたのか
 『蛍の光、窓の雪』哀別の唄が、ひとしお冷たさを増した夜風にのって流れてきて、私たちは
 いっせいに、わんわんと声をはなって泣き出してしまったのを、昨日のことのように覚えています。」

 長文スマソ

180 :日出づる処の名無し:04/05/05 01:00 ID:zFp10BcT
>>179
その後玉砕してしまったの?
無知ですまん。

181 :日出づる処の名無し:04/05/05 05:18 ID:t2d4UMlF
>>175
返事ありがとう。でも、こういうスレが上げられないって、言論弾圧だな。

182 :日出づる処の名無し:04/05/05 06:48 ID:uqlTJ4/N
>>180
いや、>>178がその内容なんだが

183 :日出づる処の名無し:04/05/05 06:52 ID:uqlTJ4/N
>>180
いや、>>178がその内容なんだが現地軍の将兵は停戦後武装解除、シベリア抑留されてる。

途中で書き込み押してしまった(恥

184 :日出づる処の名無し:04/05/06 00:58 ID:V+ojkXL3
>>183
アリがd
玉砕はしなかったが抑留されたんだな。

185 :日出づる処の名無し:04/05/06 19:21 ID:V0GoC0SU
黄金厨も居なくなったとこで保守age

186 :日出づる処の名無し:04/05/10 20:26 ID:qf0mo2n0


187 :日出づる処の名無し:04/05/10 21:28 ID:dP79RB27
>>186
「ほ」かよ!w

188 :泣けるフラッシュ:04/05/12 00:48 ID:dwUel97B
『真実」

ttp://popup7.tok2.com/home2/castle/

189 :泣けるフラッシュ:04/05/12 22:33 ID:HIOYDUN+
春を思えば

ttp://www.parkcity.ne.jp/~yamt/simauta.html


190 :日出づる処の名無し:04/05/13 00:53 ID:zMRmeo2q
まだこのページ残ってたんだ。
W杯の時のアイルランドのサイトです。
http://www.soccercentral.ie/japan.asp

191 :日出づる処の名無し:04/05/14 21:21 ID:F/nNvfOP
新ネタまだー?チンチン(AA略

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